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2007年4月17日19時51分 [長崎]

 

二発の銃弾が、伊藤一長元長崎市長の背中に撃ちこまれた。

場所はJR長崎駅前近くの「いとう一長選挙事務所」前。

近くには26聖人殉教地跡、NHK長崎放送局、長崎県営バスターミナルなどがあり、

人通りも多い所だ。

そして、そこは私が生まれた母の実家の目と鼻の先の場所だった。

 

1ヶ月前の4月17日。

統一地方選の告示から3日目のその時、市議選の候補者である父と私たちは、

そこから約2Km離れた桜馬場町の長崎県婦人会館3階にいた。

地元の人たちに集まっていただき、個人演説会を開いていたのだ。

応援弁士の方々のお話が終わり、最後に父自身の演説で聴衆に支持を訴えていた。

当日進行を務めていた私は、演壇に近い会場の入り口のところに立っていた。

話の流れから、もうそろそろ終わりに近づいた様子なので、スタッフにお見送りなどの

準備の指示を出そうとしたその瞬間、背広のポケットに入れていた携帯電話が激しく

震えた。

送信者を見ると東京に残してきた家人からだったので、あとでかけ直そうとほおって

おいた。

変な時間に連絡してくるなあ、と少し気になったが、演説会も終わりに近づいていたので、

最後の挨拶を考えていたところ、家人よりまた再度の連絡があったので、これは何か

あったなと、直感した。

そして立て続けに長崎にいる弟よりメールが入ったので、さっと読んでみる。

「午後7時50分頃長崎駅前の事務所前で伊藤一長氏撃たれる。意識不明。犯人は確保」

撃たれた!?誰に?なぜ!伊藤市長が!!

階下が慌しい、人が行きかっている。大きな声も聞こえる。きっとこのニュースが伝わって

いるのだ。

そして、演説が終わり、もたもたしていたら最後は父本人が締めてしまった。

この事をどういうふうに伝えようか私は一瞬迷っていた。

父は伊藤市長とは「好敵手」で、議会ではいろんな問題でよく議論を戦わせていたからだ。

そこへ、事務所スタッフが駆け込んできて叫んだ。

「一長(いっちょう)さんがピストルで撃たれた!」と。

父をはじめその場にいた人たちは、「ええっ!」と大声を出し驚いた。みんながその場に立ち

尽くした。

そして父は事件現場に車を飛ばし、私たちは撤収して選挙事務所に待機していた。

いろんなところ、いろんな人たちから電話やメールがひっきりなしに入る。

なかなか父からは連絡はない。テレビでは全局トップニュースで事件を報じている。見慣れた

場所の景色がどのチャンネルにも映っている。

そして、繰り返し流される伊藤市長の倒れている姿。ありえないことが今目の前で起こってしま

った。

意識不明、やがて心肺停止の報に愕然とする。倒れているのが本人とは信じがたいが、現実

なのだ。

23時過ぎに事務所に父が悄然と帰ってきた。残っているのは私と弟、そして数人のスタッフ。

協議の結果、明日の選挙活動は自粛することになった。もちろん当然のことと思う。他の陣営

も同様だろう。

やがてみんなで帰宅したが、父は眠れない様子でずっとテレビを見ていた。

そして、回復の祈りむなしく翌日2時28分に伊藤一長氏が亡くなった事がテレビで報じられた。

肩を怒りに震わせながら、父は一心に何かを書いていた。

「伊藤一長長崎市長悲しみの急告」と題されたその文章を、私はパソコンで打ち出し、数時間後の

、選挙事務所に貼り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 


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コメント 2

あの日から・・

一月が経たのですね。
最近の事件もそうですが、
何がどうなって、こんなにも破壊的な精神状態の人間が
増えているのでしょうか?
今、真剣に一人ひとりが何故なのかを考えてみないと
取り返しのつかない国になってしまいそうな気がします。

現にもう、取り戻す事が出来ない大切な命があるのですから。
by あの日から・・ (2007-05-19 21:37) 

kaz-i

>あの日から・・ さま
コメントありがとうございます。
毎日毎日次々に事件が起こり、前の事件は
忘れ去られてしまう。
おっしゃるように、一つ一つを検証して、再発を
防ぐべきだと思います。憲法改正より先にやるべき
ことが山積みではないでしょうか?
by kaz-i (2007-05-20 14:52) 

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