豊国廟そして六遊郭の石燈籠 [歴史]
先日の京都での豊国廟の話。
京都女子大を右手に見ながら入り口に進んでいくと、両脇に大きな石燈籠があった。
その土台部分には「六遊郭」という文字が彫ってある。
遊郭の寄進なのだろうが、なんでここにと疑問に思ったが、通り過ぎてお墓に向かった。
帰ってきて、調べたら驚いた。
研究されておる人(「歴史ネコのページ」)がおったんで、そのホームページを読んだら目からウロコや。
やはり勉強セナアカン。
すべては明治政府の差し金やった。のんきにえらいところにまつられはってと感心してる場合や
なかった。
豊国廟は権力は権力でも、明治政府の権力で作られたもんやったんや。
この廟は朝鮮を植民地化したい明治政府が、二度の朝鮮出兵を行なった秀吉を賛美する
ために、1897年(明治30年)に再建させたものだったんや。
そして翌年、この石燈籠が大阪の6ヵ所の遊廓から寄進されたんやて。
その寄進した遊郭たちも、朝鮮半島に進出していった。
徳川の世でも、こんなに秀吉は祀られていたのか・・・家康太っ腹と呑気に思っていたが、
豊臣氏滅亡後(1615年)、徳川幕府によって破壊され、その後は荒れるにまかされていた。
ところが、明治になり朝鮮の植民地化を国策としていた政府は、二度の朝鮮出兵を行なった
秀吉を顕彰することで、その国策の実現に人々を駆りたてようとしたそうな。
そのために造られたのが、彼を祭る豊国神社(とよくにじんじゃ)。その場所はなんと「耳塚」
の前なんや。ああ、おそろし!
「侵略と遊郭」はセットになって大陸を覆っていったのだ。そしてその話は「サンダカン八番娼館」にも
つながっていくのでしょう。
これやこれ、やはり権力ちゅうもんはおそろしいなあ。
詳しくは、「歴史ネコのページ」をお読み下さい。←「歴史ネコさん」!勝手に紹介させていただきました。
秀吉の朝鮮出兵の拠点となった「名護屋城址」の話をしたばかりなのに、偶然とは言えやはり歴史はオモシロイですね!
教科書に記載されていない裏の話ばかりを集めた歴史の本が出版されたら、私は真っ先に買うと思います。
kazさんのブログに興味津々!
by G-キック (2007-05-29 19:55)
>G-キックさま
勉強は大事ですね。そして面白い。
自分には知らないことが多すぎる。思い込んで誤ったことを
信じていることも多すぎる。そしてその意見のほうがまかり
通っていることも。
世の中を良くする為にも、だまされない為にも
勉強せねば・・・・・・。
by kaz-i (2007-05-30 15:20)