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懐かしき平和台球場 [スポーツ]

昭和40年代。

小学校の3年生2学期から6年生1学期まで父の転勤で福岡に

住んでいたことがある。

まだ福岡がそんなに大都会でもなく、子供心に世の中はのんびり

していたように思う。

その頃、何度か西鉄ライオンズがフランチャイズの平和台球場に

野球を見に行った。

豊田はもういなかったが、中西が監督兼選手で稲尾がまだ投げていた。

チケットのナンバー抽選で和田選手〈当時〉のサイン入り野球帽が当たった

こともある。

巨人の帽子をかぶっていったら、おっさんに怒られたこともある。

弟が「西鉄対近鉄」を「にしてつたいちかてつ?」といって大笑いした

こともあった。

西鉄も近鉄ももう無くなった。稲尾さんも亡くなられた。

昨日、メモリアルデーが行われたそうだ。

私にとっては、ライオンズの名は残ってはいるけど、西鉄の匂いが

あるのは、西武ではなくソフトバンクホークスなのです。

そして、栄光を掴んだエースも逝った。

合掌。

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<ソフトバンク13-4西武>

◇15日◇福岡ヤフードーム

「西鉄メモリアルデー」として、日本シリーズ3連覇などした西鉄黄金期メンバーが

復刻ユニホーム姿で始球式を行った。

西鉄創生期のエース西村貞朗さん(73)-和田博美さん(71)のバッテリーで、

「打席には流線形打線をけん引した高倉照幸さん(73)が立った。

マウンド前から投げた西村さんの球を中堅へ打ち返し、場内を沸かせた。

また、当時のスタメンを平和台球場でウグイス嬢を務めた今泉京子さん(77)が

読み上げ、昨年11月に他界した故稲尾和久さん(享年70)の追悼映像が

ビジョンに映し出された。

ズボンのポケットに故河村英文(享年71)さんと故稲尾さん、島原幸雄さん(75)

と一緒に映った写真をしのばせていた西村さんは「感激です。この4人で3年連続

日本一になった。1球の始球式でしたが、彼らと一緒に投げました」と涙ぐんだ。

36年ぶりにアナウンスした今泉さんも「(当時のスタメンは)いつでもどこでも

言えます。しゃべり出すと平和台を思い出した」と懐かしそうだった。

取手二高の優勝投手、石田文樹氏が死去 PLのKKコンビと激闘


昭和59年、夏の甲子園で優勝した茨城・取手二高のエースで、元横浜投手
石田文樹(いしだ・ふみき)氏が15日、直腸がんのため死去した。
41歳。喪主は妻、寿美江(すみえ)さん。
石田氏は取手二高のエースとして決勝で桑田、清原を擁する大阪・PL学園と
対戦。延長の末に下し、同校と木内幸男監督に初の全国優勝をもたらした。
その後、日本石油を経てドラフト5位で平成元年、大洋(現横浜)入り。
通算1勝0敗。平成6年に引退後は打撃投手を務めていた。


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コメント 2

呑亀

西鉄ライオンズの全盛期はすごかった。中西、高倉、豊田の打撃。稲尾の日本シリーズ連投など今では考えられないことをやっていた。国民の娯楽の王様だった。今の野球とは何か違う。時代が野球を代えてしまったのか。それにしても大リーグオールスター戦のイチローはカッコよかった。
by 呑亀 (2008-07-17 12:14) 

kaz-i

>呑亀様
やっぱ、今年も甲子園っすかね。
暑い夏が始まります。
by kaz-i (2008-07-18 16:04) 

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