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東北関東大震災 [できごと]

3月11日(金) 私は8日夜から帰っていた長崎の父の事務所にいて、2日後の事務所開き

の準備をしていた。風邪の治りかけでまだ本調子ではなかった。

15:00すぎ。友人からのメールで地震があったとの連絡。震度7、宮城、津波。

しばらくしてまたメール。テレビをつけろ!家や車が流されている!すぐにテレビを見ると

信じられない光景が、、、、、、車や、家や船までもが濁流に流されていく。

これまでの日々の営みが無残に飲み込まれていく光景に胸が詰まった。

仙台の友人に連絡するも繋がるはずもなく、メールを送る。

各地と連絡を取るが、名古屋は少し揺れたが被害なし。東京はかなり揺れたようで、

連絡もつながりにくい。

19:00すぎに仙台の友人より無事県庁避難所にいるとのメールあり。ほっとする。彼は4月

から広島転勤のはずだった。数年前にきれいな駅の構内でビールを飲んだ事を思い出す。

3月12日(土) 朝から長崎新聞社で11月コンサートの件で打合せ。被害の全容が

次第に明らかになってくる。事務所に戻り昼食でちゃんぽん。店の人が箸と胡椒を忘れている。

14:30 中町教会で野下神父と打合せ。17:00 事務所用の電気製品購入。

19:00 東長崎地区へ父と集会に。福島の原発の避難区域が半径20キロ以上に拡大。

長崎の被爆者の認定範囲は半径12キロなのに。

21:00 散会。浜町に戻り「安楽子」で食事。さらしくじらを酢味噌で。 

風邪ほぼ治りかけているが、早く寝る。

3月13日(日) 朝仙台の友人からのメール。県の避難所は災害対策本部にもなっていて、

電気、水、暖房、食糧、テレビ、新聞配布、衣料もあり建物も頑強だ。しかし近くの会社

にでかけ社員の安否確認、対策本部立ち上げを行うとのこと。

9:00過ぎに長崎空港着。バタバタと買い物。10:15 長崎発、中部国際空港行きANA

便離陸。11:30 中部国際空港着。名古屋へ。いったん帰宅し14:00前に出社。

翌日の会議の準備をして19:10の新幹線で東京へ。混んではいなかった。22:00前に江戸川

の自宅に帰着。

3月14日(月) 渋谷の本社で会議のため出社。混雑を予想し7:00に駅に行くと都営新宿線

瑞江駅のホームはもう満員。始発から3つ目だというのに入ってきた電車は超満員だったが、

何とか乗り込む。乗り換えの神保町まで苦しかった。こんなラッシュの電車は20年ぶりくらいの

気がする。半蔵門線に乗り換え、ようやく渋谷に到着すると改札の前には入場制限で長蛇の列。

東京のような大都市では一つでも電車のダイヤが狂うと時間によっては大混乱になる。

この過密ダイヤで出勤者のキャパを支えているのだから、電車運行が半分になって、何の出社制限も

しなければ、大混雑になるのは自明の理であろう。しかし日本の労働者は言われない限り責任を

全うしようと同じように出勤するのだ。9:00前に事務所着。

午後の会議は中止決定。品川のホールに渋谷から山手線で移動。若干の間引き運転で時間の

割に込んでいる。

品川で明日の運行状況、そして停電についての情報収集。Twitterやfacebookがテレビより早くて

きちんと選んでいけば、正しい情報を得られる気がする。そういう時代になった。情報を伝える側も整理して、

何をだれに伝えるのか混乱している時こそ考えるべき。役割分担が下手。

緊急時のテレビは掲示板で良い。余計な演出はもういらない。こういう時は役割分担すべきだ。 

五時から停電を行う可能性が高いといわれて、16:50分過ぎになっても次の一報がない。

いきなり落とすのか!?

18:00過ぎに山手線の品川駅ホームに行くとあふれんばかりの帰宅を急ぐ人たち。(外回り)

内回りで秋葉原まで行くが、普段の三倍の時間がかかる。秋葉原から岩本町まで少し歩く。

つくばエクスプレスの駅の前に長蛇の列。21時からしか動かないからだ。あと2時間もある。

ヨドバシカメラも、マックもどこもかしこもネオンが消えている。昭和64年大喪の礼以来だ。

岩本町からの電車は意外にすいていて座れた。改札を抜け外に出たらいつもけばけばしい

駅前のパチンコ屋のネオンも消えていた。

暗い町を帰りながら被災した人たちのことを考えた。

みんな連帯し、我慢して、被災地を支えます。

原発のことも心配です。予測がつかない事態です。何が起こってもおかしくありません。

政府はきちんとした判断で、正しい指示を!そして我々も自分たちで考え、判断して

行動しなければ。

落ち着いたらよく考えましょう。これまでのこと、これからのこと。

明日早朝名古屋に戻ります。新幹線乗れるのでしょうか。


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コメント 7

toro

お疲れさまでした。
今回はtwitterが大活躍でした。
いまはもう、これ以上のことが起こらないように、祈っています。
by toro (2011-03-16 07:54) 

kaz-i

>toroさま

お上のご託宣をありがたがらず。
情報を取捨選択する時代になりました。
マスコミの人たちも冷静に、事実をちゃんと
伝える能力を持ってほしいと思います。
東電の人にただ怒鳴ってもだめでしょう!
江川問題(古!!)の時と訳が違うのですから。
by kaz-i (2011-03-16 11:53) 

呑亀

kaz-i様
福島第一原発の事故は、ほとんど最終段階の一歩前です。残された手立てを専門家の話を聞いていると、大量の水を入れて冷ますことと、ホウ酸(韓国から届いている)を注入し、中性子の活動を弱める。温度が下がれば次の手が打てる。その次の手とはもはや、チェリノブイリと同じように固めてしまうことしか残っていないでしょう。それもうまく温度を下げ、人間の力が及ぶようになってからです。そうならなければ、この土地、日本の土地は放射能に汚染され続けることになります。  
by 呑亀 (2011-03-16 16:45) 

yutakami

ご無事でしょうか?
by yutakami (2011-03-20 19:26) 

kaz-i

ご心配ありがとうございます。
今は名古屋にいて停電の心配もありませんが、
風邪などで三日間寝込んでしまいました。
もう回復いたしました。明日から復帰します。

by kaz-i (2011-03-20 19:48) 

G-キック

3月11日という日が消えてしまえばいいと何度思ったことでしょう。
東北関東大震災はそれ程強い衝撃でした。
その時私は店内で仕事中でしたが、あまりの揺れに怖くなり急いで外へ避難しました。
幸い被害は商品の散乱程度で済みましたが、復旧後からは人々が商品を求めて殺到し、我先にとカゴに商品を入れ、商品棚は本当に空っぽになってしまいました。
異様な光景でしたが、先週からは水や電池以外の供給は問題なく、やっと落ち着いたようです。
直接被災していなくても精神的なダメージが大きく、自分に出来る事は何があるのかと自問自答しています。
自粛も大切ですが、経済を下支えしなければ被災地をサポートすることもできなくなります。
計画停電も実施されており、東電の電力を利用している全ての人が復興の気持ちを忘れずに協力できたらと思っています。
久しぶりに飲みながら話がしたいですね。
by G-キック (2011-03-28 15:32) 

kaz-i

>G-キックさま

久しぶりです。
会場の予約キャンセルは名古屋でも百件を超えました。
このままでは多くの会社が立ち行かなくなっていきます。
我々が出きることを至急考えねばなりませんね。
またご連絡します。
by kaz-i (2011-03-28 17:23) 

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