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長崎2011年夏 その2 ~五島列島① [長崎]

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先日長崎に帰った時に、実弟と二人で五島列島に行ってきました。 

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長崎港ターミナル。

昔は福江までフェリーで4時間かかっていましたが、今はジェットフォイルで1時間半。

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東京から名古屋までの新幹線の時間とほぼ同じです。

五島へ行くのは32年ぶりでした。あの頃は学生で、仲間と高浜でキャンプをしました。

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久賀島(ひさかじま)に行く船の時間まで少しあったので少し散策。 

県立五島高校はお城の中にあります。

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五島の伝統芸能「チャンココ踊り」の石像。

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鬼太郎もいた。

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「あご(とびうお)」ののれん。

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五島の教会群は今世界文化遺産の登録を申請しています。

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福江島の隣の島「久賀島」まで船で20分。

久賀島ツアーとセットで往復3,500円のツアーがあったので申し込んだ。

(木口汽船)久賀島に行く方にはこれがおススメです。

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海の美しさにはしばし言葉を無くしました。

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浜脇教会が見えてきました。

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浜脇教会。

http://www.pref.nagasaki.jp/tokyo/nagasakinokyoukai-web/kyoukai/hamawaki.html

ここに建っていた教会を移築したのが旧五輪教会。

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五島のクリスチャンの歴史についてはいずれまた書きますが、受難の連続でした。

それでもなお信仰を捨てなかった強さと、悲しみを教会群は秘めています。

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牢屋の窄(さく)殉教地。

http://www1.odn.ne.jp/tomas/rouyaanosako2.htm

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明治初期、キリシタンへの弾圧がまだ行われており、この地に建っていた小さな家の中に二百人

余りの老若男女が押し込められるという弾圧(拷問)を受けた。

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神を信じながら死んでいった子供たちもいる。

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蕨(わらび)集落。

ここはわが師匠が戦時中の幼き頃に疎開していたところ。

生前何度となく話を聞いており、ようやく行くことができた。

終戦間際になって、五島にも連合軍が攻めてくるという話があり、疎開の地から

長崎に戻ったその少年は8月9日に被爆した。

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久賀島はかつて4,000人がすんでいたが今は400人。

この五輪地区には二世帯四人の方しか住んでいない。

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ここは歌手の五輪真弓のお父さんの出身地だ。「ごりん」と読む。

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木造の教会で、浜脇教会のあったところから船で部材を運んでこの地に建てられた。

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この教会をいまだに四人の方々(二世帯の兄弟)が守っておられる。

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折紙峠(おりがみとうげ)。

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向こうは東シナ海。ここから中国大陸まで七〇〇キロ。

そのむかし遣唐使はこの海を渡って大陸へ向かって行った。

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久賀島はクルマエビの養殖などもやっていたが、人影も少なく静かな島だった。

季節になると椿の花があちらこちらで咲き誇る。

山々が赤く染まることを想像しながら、また船に乗って福江に戻った。

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宿の人に聞いた店で、おいしい魚、きびなご、さざえ、あらかぶの味噌汁をたらふく食べて

五島産の芋焼酎を飲んで夜は更けていきました。

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