長崎2011年夏 その3 ~平和への祈り [長崎]
キリシタンの厳しい弾圧も受けた長崎をさらに悲惨な出来事が襲う。
人類史上二番目となる原爆が投下されたのだ。
クリスチャンたちは西洋の神を信じて、何百年も地下に潜り、ようやく自由な信仰が
認められたと思ったら、彼らと同じ神を信じる国から、しかも浦上天主堂の真上に、
何万人もの人々を一瞬にして殺してしまう恐ろしい爆弾を落とされたのである。
クリスチャンたちは空を見上げてうめきながら叫んだそうである。
「神も仏もなか!」、、、と。
あれから66年目の夏がまたやってきた。
長崎の有志は「長崎の鐘を鳴奏(ならそう)会」と名付けた運動を2008年から続けている。
平和公園の中にある「平和の鐘」を、原爆が落とされた日時にちなみ、毎月9日11時2分から
10分間鳴らし続けているのだ。
長崎では宗教の垣根を越えて「長崎県宗教者懇話会」というものが組織され、カトリック、神道、
仏教、さまざまな宗派の方々が集まり、知恵を出し合って平和のために活動されている。
その方々の賛同も得て、毎年8月9日11時2分、原爆の落とされた日時に、長崎中の
教会やお寺の鐘を鳴らそうという運動も進めておられる。
この日8月6日は広島原爆忌だったので、11時2分~12分、22分~32分の10分の計2回
観光で来られた人たちの手も借りて、鐘が鳴らされた。(8月8日までの3日間)
参加者にはかわいい小さな鐘のついた携帯ストラップ(赤、青二色)がプレゼントされる。
8月6日は暑かった。広島原爆投下の8時15分に自宅で黙祷をして、10時過ぎに会場の
平和公園に向かった。
9日の平和式典に向けて、平和公園では準備の真っ最中だった。
左端は永井隆博士のお孫さんの永井徳三郎さん。
永井隆博士の奥さま緑さんの曾祖父吉蔵さんもまた浦上三番崩れで獄死したクリスチャンだった。
この日は合計200人以上の方が参加された。
公園の裏手にある平和会館の片隅にはアンネのバラが花を咲かせていた。
時期を同じくして、長崎市原爆資料館の近くでは「キッズゲルニカ」の展示も行われていた。
キッズ・ゲルニカはピカソのゲルニカと同じ大きさ(3.5m×7.8m)に世界中の子供たちが
平和の絵を描くというアート・プロジェクトです。
ボスニア・ヘルツェゴビナの子供たちの絵。
城山小学校区の子供たちの絵。
山里小学校区の子供たちの絵。
爆心地から500メートルの城山小学校の学童は約1,500人中約1,400人が即死。
600メートルの山里小学校の子供たちは1,581名中、約1,300人が亡くなった。
グラウンドゼロ。
昭和20年8月9日午前11時2分、アメリカ軍機B29(ボックスカー)から投下されたプルトニウム型
原子爆弾(ファットマン)は、ここの上空500メートルで炸裂し、150,000人を死傷させた。
今年の平和祈念式典には、初めてアメリカ政府代表としてズムワルト主席公使が出席した。
そして、あいついで原発や核に関する映画が公開される。
http://eiganavi.entermeitele.net/news/2011/08/91zero-53e5.html
http://iwakamiyasumi.com/archives/12094
チェルノブイリや福島の原発事故は人ごとではない。人類共通の課題として、なんとしても
核を、原発を廃絶しなければならない。
道のりははるかに遠い。
何百年もかけてクリスチャンたちが信仰の自由を勝ち取ったように、その日は来るのだろうか。
しかし続けていかねばならない。未来を背負う子供たちのためにも。
、、、、、、、、、、。
2011年の長崎の夏の旅はこうして終わりました。
秋には「長崎の鐘を鳴奏会」をはじめ、数々の企画で長崎から平和を発信し続けている
「アジェンダNOVAながさき」の全面的ご協力を得て、コンサートをやります。
新宿ゴールデン街から始まった企画が、どんどん広がってきています。
皆様ぜひいらしてください。
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