長崎26聖人殉教地 [長崎]
「リンデンさんの長崎ケルン」というブログで紹介されていましたが、
今年の6月は、長崎・西坂の地で秀吉の命により処刑された26人の殉教者が
聖人になって(列聖)150年、そしてまたこの地に26聖人記念館が建てられて50年という
節目の時でした。
認められない。一般に、聖人として認めるための調査は本人の死後に長い時間をかけて行われ、
早くても死後数十年、場合によっては死後数百年にも及ぶ厳しい審査を経てようやく
(引用終わり)
26聖人の場合は1597年の処刑から1862年の列聖まで、実に265年も経っている。
この地に記念館が建つ前は、ジャングルジムやブランコやシーソー(もあったと思う)などがある
西坂公園であった。
公園からは長崎港が一望でき、正面をずっと見ていくと大浦天主堂の正面が見える。
それもそのはず大浦天主堂の正式名称は「日本二十六聖人殉教堂」と言って26聖人に
ささげられた教会で、殉教地である西坂に向けて建てられているからだ。
私の母の実家がこのすぐ下のほうにあったので、赤ん坊のころからよくこの地に連れられて
行った。
記念館が建つ頃には、遠くから工事現場をのぞきに行ったり、植えられたばかりの芝生に入ると
「死刑」になると、近所の兄ちゃんたちに脅かされたりしていた。
完成した後もよく遊びに行った。
(写真は1962年6月10日の記念館献堂式の写真)
記念館や右にあるガウディを意識した教会(聖フィリッポ教会)は早稲田演劇博物館など数々の
建築で名高い今井謙次。
26聖人のレリーフは舟越保武。記念館の中のフレスコ画は長谷川路可(長谷川画伯のことは
つい最近教えていただいた;汗;)
4月15日には河村典子さんがこの教会でバッハを演奏された。
そんなすごい人たちの作品とは知るはずも興味もない幼き私たちは、レリーフの左にある
大きな岩を船に見立てて、大海原に乗り出していくような、海賊ごっこを暗くなるまで飽きずに
やっていた。
夏休みにはラジオ体操もやっていた。近くの町に越していたのだが、祖父母の家に泊まりに
来ていて、参加したあかしのはんこをもらうために(ハンコを全部押してもらうと商品:ノートと鉛筆!が
もらえた)体操の終わりに列に並んだら、「ハンコの違う!」と白い目で見られ、恥ずかしかった思い出
もある。
高倉健が来て撮影をした時も、ここにいた。映画のロケ隊について行ったらスタッフに怒られた
記憶もある。
この西坂の丘は400年以上前の殉教も、67年前の原爆も見てきた。
街には高いビルが立ち並び、大浦天主堂も建物の隙間からしか見えなくなった。
感謝や、鎮魂、、、、、、様々な祈りのある生活を忘れないようにしたいものです。
さて、こんどはいつ故郷に帰ろうか。
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