江戸川花火大会 [祭]
今年も夏本番!
と、言いたいところですが、はっきりしない天気でが続きます。
暑くないのが何よりですが、それも少しさびしいような・・・・・・。
勝手なものです。
昨日はちょうど東京だったので、屋上から花火を堪能しました。
さっきまた名古屋に帰ってきました。
東海地方は梅雨は明けないまま、秋になりそうです。
横浜開港150年 [祭]
ゴールデンウイークは、横浜に行ってきました。
開港150周年のお祭りをやっていた。
日本大通には花で作ったいろんな横浜絵が。
まずは開港資料館で横浜の歴史を教わる。
イベント会場の赤煉瓦倉庫へ。
近くの有料会場は入場料が2,400円もするのでやめました。
中華街もどこもかしこも人であふれていました。
そのあと元町を散策。
フクゾー、キタムラ、ミハマ・・・浜トラ三種の神器の店をみて
懐かしかった。
ユーミンの歌が聞こえてきましたね。
この日は天気がよかった。
みなとみらいを見ていると、寒村だった横浜が150年しか経っていないのに
こんなに変わったのかと、感慨深かった。
長崎、神戸にどこか似ているものを感じるのは、やはり港町だからだろうか。
自由で開放的な感じがする。
街並みも美しい。
不況の嵐をしばし忘れた。
10年後、50年後はどうなっているのだろうか。
花の祭典 [祭]
今年で35回目を迎える江戸川区の「花の祭典」に行ってきました。
場所は近所の篠崎公園近く、鹿骨(ししぼね)スポーツ広場。
たくさんの人でにぎわっておった。
江戸川は花とみどりのまちづくりを目指していて、都市農業の生産者と
一般市民の交流がテーマ。
ここらあたりは10年前と比べてずいぶん緑地化されていた。
春秋園のみごとな盆栽や江戸川産の小松菜や花々が並んでいた。
カーネーションの小鉢。
もうすぐ母の日ですね。
屋台の人たちも大忙し。
焼きそばとビールで一息つきました。
穏やかな天気でした。
長崎ランタンフェスティバル [祭]
1月26日~2月9日まで「2009長崎ランタンフェスティバル」が
長崎市で開催されている。
今年は見に行けないが、街中がまた赤や、黄色のランタンで
美しく輝いていることだろう。
旅行を計画されている方はぜひ一度ご覧ください。
温かい「角煮まん」や「ぶたまん」を食べながら歩く
長崎の街はまたおつなもんです。
今年のメインオブジェ「金牛」
激流を登っている鯉(登龍門)と状元及第(科挙の最終試験に
筆頭合格)を成した貴士が富の牛(金牛)に乗っている様子
の吉祥図。
とてもめでたいことをあらわしているそうです。
唐人町あたり。
昭和30年代のようだ。
不況の風を、気持ちだけでも吹き飛ばそう!
2007長崎ランタンフェスティバル [祭]
先日故郷長崎に帰ったとき、街は真っ赤に染まっていた。
2月18日に始まったランタンフェスティバルがクライマックスを迎えようとしていたのだ。
先日も書いたが、年々盛んになってきていて、今年は眼鏡橋や多くの石橋群がある中島川
沿いにもたくさんのランタンが飾ってあり、にぎやかな街中の赤の氾濫と違い、しずかで、
川面に映るランタンの穏やかな黄色が、地元出身でありながら異邦人のようでもある
私の旅情をかきたてる。
おおっ、眼鏡橋だ!←見たことあるだろう!と自分でつっこみながら、観光客の気分。
そんなに寒くなかったので、ランタンや石橋を見ながらこの辺をゆっくり歩くのはとても気持ちが
よかったのではないだろうか。(私はちょこっと寄っただけだが、それでも軽く興奮した)
荷物を置いて中華街のほうへ行くと、こちらは人出も多く、祭り気分が高揚する。
メイン会場の湊公園(みなとこうえん)
今年の干支は「いのしし」なのでメインオブジェは「ぶたくん」
中国では猪は豚のことで、肥えたブタは全身宝であり豊年収穫、富のシンボルだそうです。
また子をたくさん産むことから子孫繁栄、家族が増える願いを表すのです。
諸事如意(ツゥスールゥイー:何事もうまくいくという意味)の諸と猪の発音が同じことから猪の
年には新年の挨拶として使われるそうです。←(ホームページから引用させていただきました)
ということで、この「ぶたくん」たちが幅をきかせてました。
ぶーぶーぶー!
なんつったって、おれたちゃ今年のメインだぜっ!
よしっ、お祝いだ!(なんの?)
とばかりに、実家の家族と長崎の地元でとれた「ごんあじ」「いかさし」「あわび」の刺身を
食べにいく。
ごんあじ:油がのっていて甘い。いきがいい。
透き通ったいか:まるごと一匹。足などは塩焼きにしてくれる。
あわび:大好物だが、歯を治療中でダイナミックに食べられなかったのが残念。
とはいえ、うまかったー!長崎に生まれてよかったと思う瞬間。
次の日からのハードスケジュールをよそに(いろんな用事があったのだが、ひとまず
今日はいいでしょう!ということにして)焼酎のグラスを重ねていきました。
外を春らしい風が吹き、長崎の夜は更けていくのでありました。
長崎くんち見物 ~その3 お神輿篇 [祭]
「長崎くんち」では諏訪神社の本宮からお旅所の仮宮まで、諏訪・住吉・森崎の三体の
御神輿が下ります。
御神輿は神輿守町(みこしもりちょう)と呼ばれる、旧長崎村の十二郷の人たちが担ぎます。
この順番は6年に一度回ってきます。
我が実家の片渕4・5丁目は、今年がその順番の年でした。
しかも一番神輿の諏訪社を担ぐのです。次に一番神輿を担ぐのは18年後です。
これは、今年見に行かねばということで、休暇を取って行かせて頂きました((´∀`*))
おくだりは10月7日、午後1時に諏訪神社を出発します。
神社の下で隊列をそろえて、天狗、稚児、傘鉾パレードも一緒になって約1,000人くらい
の行列です。
↑ 昔の「おくだり」 諏訪神社大祭式行列図(明治12年) |
出発前の本殿。 みんなやる気まんまん。 おくだりの先頭。 孟宗竹を引きずる男性二人のあとの猿田彦(天狗の面をつけている)を先頭に行列が始まる。
三体のお神輿がそろって、73段の長坂を下る。 ここは、静々と下る。 そして、最後の1の鳥居を越えるか越えないかのうちに走り出す。 この走ることを「盛り込み(もりこみ)」と言います。 長坂の写真を撮っていた私は、1の鳥居まで走って行ったのですが、「盛り込み」に 間に合いませんでした。残念(*´;ェ;`*) NBC長崎放送動画 ←迫力! そのあとは、普通に行列を作って行きますが、突然「盛り込」むこともあります。 おくだりのコース。 時間が読めなかった私は、母の墓参りをして、最後の「盛り込み」を見ようと「お旅所」 に駆けつけたのですが、タッチの差でここも見られず。・゚・(*ノД`*)・゚・。 最終日(後日:あとび)にすべてを賭けることにしました。
長崎くんちレポート←みんな、凄い情熱で「長崎くんち」を追っかけています。
お神輿は「お旅所」に鎮座し、みんなは9日まで参拝します。 そして、今度は「おのぼり」です。 13時に合図の花火が上がり、まず「お旅所」を3体のお神輿が出発します。 長崎県庁の横にある通称「県庁坂(けんちょうざか)」を、お神輿を担いで駆け上ってきます。 |
テレビ局やカメラマンがいい画を狙っています。
しかしこの場所には神輿が突っ込んでくるので、私も含めみんな排除されました。
沿道はたくさんの人で埋めつくされ、行った時はもう前の方に進めませんでした。
しかし、今度は何とか「盛り込み」を見ることができました。
今か今かと、走り出すのを待っている時の期待感、時間間際に高まる緊張感、
そして、合図の太鼓が鳴って歓声が上がり、坂を一気に駆け上ってくる御神輿。
応援する観客たち・・・・・・。
エネルギーが体中に伝わってくるような、何とも言えない感覚を久々に味わいました。
これが「祭り」という物が持つ、醍醐味なのではないかと感じました。
熱気という物が、目に見えて人々に伝播していきます。
大歓声の中、坂を登りきる。
参考写真。正面から見るとこんな感じ。
坂を登ると、しばし休憩なので記念撮影。紋付きに帽子が長崎らしい。
そして、隊列を整え「お上り」が始まる。
「お上り」コース。
今度は繁華街の中を歩いていく。
時々走り出す。
「眼鏡橋」。この日も天気がよく、爽やかな日だった。
そして、諏訪神社に戻ってくる。
この長い坂を上がっていき、最後の石段を駆け上がっていくのだ。
「お上り」「お下り」の時は桟敷席が100円で解放されるので、今度は桟敷から見る。
先頭集団が御神輿を待ち受ける。
もうまもなくだ。客席もざわついてくる。
おおっ、神輿が見えた!
時間前に立つ力士のように、もう走るのではないかという予感。
そして、宰領が扇子を振って合図を送り、太鼓が鳴る。
走った!
歓声がうねって大きくなる。
長坂の前。ここから73段を一気に駆け上がる。
上がってきた。
がんばれー!みんな一体となって必死に応援する。
そして、三体の御神輿は無事に帰ってこられました
ああ、終わった、終わった。
桟敷や石段の観客の一体感というものが素晴らしかった。
演劇やスポーツはこの「祭り」からあらためて学ぶ事が多いような気がした。
「祭り」という物を、誰が考えたのだろうか?
「祭り」は凄い。やっている人も、観ている人も一つにまとまる。
家路に着くと家の近所の陽だまりに二匹の猫が寝ていた。
レンズを向けると一匹は起きたがもう一匹はまだ寝ている。
写真を撮ったら、その寝ていたほうの猫が寄ってきて、私の足に体をこすりつけ
またごろんと横になってしまった。
「お疲れ様でした!また来年」
そう言っている様だった。
おわり。
作者: 久留島 浩, 原田 博二, 河野 謙
出版社/メーカー: 長崎文献社 発売日: 2006/09 メディア: 大型本
長崎くんち見物 ~その2 踊り町篇 [祭]
「長崎くんち」という祭は江戸時代から372年も続いている。
御神輿を3体諏訪神社から大波止(長崎港)にある「お旅所(おたびしょ)」まで担いで
行く「お下り(おくだり)」、そして戻ってくる「お上り(おのぼり)」という行事と「奉納踊り」で
主に構成される。・・・ということが今回あらためてわかった(*^~^*)ゝ
御神輿を担ぐ町内は決まっていて、その順番は6年に一度回ってくる。
神様が年に一度市中の人々の様子をご覧になるために旅をされ、御神輿が「お旅所」に
行くというわけだ。
「奉納踊り」は諏訪神社に踊りを奉納するのだが、「踊り町」も市内の旧77ヶ町に決まって
いて、それぞれ7年に一回順番が回ってくる。
何しろ7年に一回だから、気合いが入る。町の名誉がかかっている。
今回はその「奉納踊り」について書きます。
諏訪神社の広場。ここでまず7日の朝7:00から各町の踊りが奉納される。
この石段は無料席(いまは整理券を配っているが、むかしはいい場所を争って取っていた)
徹夜で前の日から盛り上がる。
石段を登りきったところに神殿がある。
桟敷席。放送席からいろいろ解説してくれる。
諏訪神社での奉納が終わると、場所を移動して近くの公会堂前広場で8:00から
また演技を見せる。このあともう一カ所演技をして、そして庭先回り(あらかじめ決められた
家やお店の庭先を一軒ずつまわる)、そして夜もまた踊り場所で踊る。これが3日間つづく
ものすごいハードスケジュール。
そして、わたしは公会堂で5年ぶりに見ることができた。
各町順番に演技を行う。
桶屋町:本踊り(ほんおどり) 始めに子供たちが踊る。
地方(じかた)の方々は地べたに直に座る。これが長崎の心意気!
船大工町:川船(かわふね) 私はむかしからこれが好きだった。
ぐるぐる曳き回す。中では子供たちが一所懸命演奏する。
栄町:阿蘭陀万才(おらんだまんざい) オランダさん(むかしオランダ人をこう呼んでいた)
のコミカルな掛けあいの踊り。
本石灰町(もとしっくいまち):御朱印船 ベトナムとの貿易も盛んだったらしい。
朱色が鮮やかだった。
これも廻す!場内はやんやの喝采。
丸山町:本踊り。長崎検番のお姉さんがた。
最後は万屋町(よろずやまち):鯨の潮吹き
静と動のコントラスト。ちゃんと潮も空高く吹き上げます。
片肌を脱ぐと、鮮やかな入れ墨が!
「もってこーい、もってこい!」の大合唱。(アンコール)
3時間半、久々に堪能して私は会場をあとにしました。
お天気に恵まれ、たくさんの露店も出て街は大賑わい。
街を歩いていると、いろんな出し物の庭先回りに遭遇します。
ここでやらねば!という印が家の前に書いてあります ↓
踊りも踊ります。
鯨も町の中に泳ぎだしていきます。
車なんか通れません。まるでゲリラのようにあちらこちらに出し物が出張していきます。
夜の繁華街。9時すぎまで庭先回りはつづきます。
こうしておくんち前日(まえび:初日のこと)は暮れていきました。
あしたにそなえてしばし休んでいるくじらくん。
~その3 御神輿篇につづく。
長い歴史を持つお祭りを一口では語りきれないし、私の知る限りの知識なので
ところどころ適当ですが、ご勘弁を。
おくんちをさらにくわしく知りたい方はぜひくんち関係ホームページをご覧下さい。
その中の一つ → 即!報 長崎くんち
たくさんの写真、動画がありますよ。
長崎くんち見物 ~その1 傘鉾篇 [祭]
10月6日(金)の東京は、大雨の影響で飛行機が軒並み遅延。
長崎行きも1時間半遅れとなったため、私が実家に着いたのは夜の12時を少し
回っていた。
一夜明けた7日(土)の長崎は素晴らしい秋晴れでした。
いよいよ「長崎くんち」が始まるのです。
朝、この季節の少し冷たい風を感じ、みかんの初物や栗などを食べると、この「くんち」を
思い出します。
「長崎くんち」は長崎の氏神様、諏訪神社の秋の例大祭で毎年10月7日~9日の3日間
開催されます。
毎年順番で決まっている踊り町の「奉納踊り」と三体のお神輿を長崎港近くの「お旅所」
に担いでいく「お下り(おくだり)」、そして帰る「お上り(おのぼり)」で主に構成されます。
「奉納踊り」は踊りといっても、「龍(じゃ)踊り」「コッコデショ」「川船」をはじめとする、勇壮な
曳き物なども奉納します。
大きな会場での演技とは別に、「庭先廻り」といって、それぞれの出し物が、町に飛び出し、
店の前や家の前、道路の真ん中などで演技をすることもあります。
おいおい説明しますが、詳しくは
長崎公会堂前広場での奉納踊りを見に行くのに、ボーっとしながら朝6時から並んだ。
しかも一人で・・・・・・。私は、よっぽど祭り好きオヤジなのか。
しかしもうすでに50メートル位の列ができていた。
本番は午前8時からなのだが、中は自由席なので早く並ばないと、よく見えるいい席が
取れないのだ。
開演1時間前くらいに開場。↓ここから入って中は桟敷席になっている。
ことしの踊り町は6ヶ町。
しばらくしたら、もう満員になった。
開幕を待つ見物客たち。
アンコールの掛け声「もってこ~い」(船などの曳き物に掛ける)、「しょもやれ~」
(踊りに掛ける)の練習などで、だんだん盛り上がってくる。
はじめに7:00から諏訪神社でまず始まるのだが、開始の打ち上げ花火の音が聞こえると、
場内がざわめく。
そして8:00すぎ、シャギリ(笛)と太鼓の音が聞こえ、始めの踊り町「桶屋町」の「傘鉾(かさぼこ)」
が場内に入ってきた。割れんばかりの歓声と拍手。
長崎の人たちは1年間、この瞬間を待っているかのようだ。
この「傘鉾」は出し物の前に必ず登場する。
いわば町のトレードマークのようなもので、それぞれ町の名前や、特産物などにちなんだ豪華な
飾りつけがしてある。
「桶屋町」:象と時計。むかし外国から来た象を見て、長崎の人は肝をつぶしたようだ。
貿易の盛んだった頃の名残。
町の長老たちの挨拶。
中に入って回すのは一人。150キロくらいあるそうだ。
「船大工町」:上棟式の飾りと上がり矢、木槌。
長崎には、昔そこに住んでいた人たちの職業にちなんだ町名がたくさん残っている。
この町には、船大工さんがたくさんいたのです。
「栄町」:貝殻に四季の絵が描いてある。そして紅葉。
飾りは長崎らしく海、季節、貿易にちなんだものが多い。
「本石灰(もとしっくい)町」:ひょうたんと朱印状。
御朱印船にちなむ。ほんもののベトナム大使も登場。
41年ぶり登場の「丸山町」:美輪明宏の生まれた町。遊郭があった。
「長崎ぶらぶら節」でも知られる。
くるくる回す。
「万屋(よろずや)町」:注連縄と桶。
周りの「たれ」には「長崎刺繍」が・・・・・・魚が肉厚で超リアル。
町内ごとに「傘鉾」が必ず出て、そのあとに出し物が続く。
今回は「傘鉾」でまとめてみました。
つづく・・・・・・。