追悼 若松孝二監督 [追悼]
きばらんば! [追悼]
「きばる(気張る)」とはわが故郷長崎では、「がんばる」「お金を気前良く払う」
などの意味でよくつかわれていた。
「今日の仕事はきばったね」「(買い物などの時)もうちょっと気張ろうかね」
などなど。
この「気張る」に、「~しなさい」の意味の「~(せ)んね」をつけると「きばらんね」
となり「がんばりなさい」の意味となる。
※決して「きばれんね」ではない。
さらに「そうしなさい」「そうしてほしい」「しなければならない」の意味の「~(せ)んば」
をつけると「きばらんば」となり、「頑張りなさいよ」「がんばってね」という意味になる。
里帰りした私が、しばらく滞在してまた故郷を後にするとき「また来るけん(帰ってくるよ)」
と挨拶すると、必ず、「きばらんばよ」と言われた。
この言葉の裏には、「仕事もきつかろうし、いろいろ大変だろうけれども、がんばりなさいよ」
という励まし【エール】が含まれているように思う。
病床にあった母を長崎に見舞って、私が東京に戻るたびに母は、微笑みながら
言っていた。
「きばらんば」と。
亡くなる2日前に、集中治療室のベッドでもう意識がほとんどないのに、わたしの
顔を見てかすかにうなづいたのが、思えば母との別れだった。
あれから7年がたった。
今日は、わが母の命日。
まだまだ「きばらんば」(がんばらねば)と思っています。
2003.1.14入院前日の母(右)
追悼 [追悼]
田辺聖子「道頓堀の雨に別れて以来なり」より
和田たかみ句
「 被爆者どうしの会話
下敷きば見殺し骨ば拾うたと
生まれたばってん小頭症で死んでしもた
引き吊った痕ばい貰い手がなかと
あん時のガラスびっこは治らんけん
放射能害とカルテには書いてなか
やられ損とヒバクシャエンゴまあーだげな
どげんもんか煮え湯かぶればわかるじゃろ 」
岸本水府 終戦の日二句
「 富士を中にくらしの煙この日から
醤油(しょうゆう)が瓶に半分世が移る 」
合掌。
伊藤農園のセロリ [追悼]
東京江戸川の伊藤農園のセロリを今年も頼もうと思っていたら、
ご主人の伊藤仁太郎さんがお亡くなりになり、現在生産・販売を
中止されているとのことを伺いました。
伊藤農園のセロリのことはこのブログでも何度も取り上げ、毎年楽しみに
している友人・知人・親戚も多かったのですが、残念でなりません。
お知らせした人たちも、口々に残念だ、と悲しがっていました。
セロリが春を告げるお知らせにもなっていたので、さびしい気持ちで
いっぱいです。
伊藤さんとはお会いすることはできませんでしたが、丹精込めたお仕事に
お人柄が偲ばれました。
心よりご冥福を申し上げます。
ご苦労さまでした。
井上ひさし逝く! [追悼]
気がつけば、「ひょっこりひょうたん島」を夢中になって見ていた。
さまざまな魅力的なキャラクターが大好きだった。
こんなお話を考えるのは一体誰なんだろうと、テロップを見て、小学生の
私の頭に「井上ひさし」の名前がインプットされた。
直木賞をとった時も、ああ、あの「ひょっこりひょうたん島」の人だ、と思っていた。
二丁目のらいらで「ひょうたん島」のディレクターだったYさんと知り合った時には
「ひょうたん島」の話で盛り上がり興奮した。Yさんも、もういない。
「青葉茂れる」の仙台の高校生に自分をだぶらせた。
演劇でもすばらしい作品を次々と発表された。
最後にみたのは「花よりタンゴ」の再演だった。
「父と暮らせば」に続く、長崎の原爆を扱った作品を構想中だったとも聞く。
巨星墜つ!
放送界、演劇界、小説界の常に先頭を走っていた井上ひさしは、ずっと私の憧れだった。
心からご冥福をお祈りします。
キヨシロー死す! [追悼]
忌野清志郎が逝ってしまった。
58才。
英心さんと同じ歳・・・・・・。
残念だ。
なんか好きだった。
ご冥福をお祈りします。
だんだん「それぞれの色を持った」人がいなくなっていくような気がする。
消される「個性」。
人間は違ってていいんだ。自由なんだ。
もう一度そう思い返したい。
原点に戻ろう。原点を探そう。
ロルカの墓、発掘へ! [追悼]
先日京都に行った時に、友人から「ロルカの墓が発掘されるという
記事が朝日新聞にのっていた」ということを聞き、驚いた。
ずっと遺族が許していなかったし、複雑な市民感情から、誰も
手をつけられなかったように聞いていたからだ。
調べてみると、スペインの全国管区裁判所のガルソン判事という人
が、内戦時代からフランコ独裁時代にかけての拉致、殺害、拷問、
追放についての刑事裁判に着手したという記事が10月17日付けの
マドリード発の記事として出ていた。(http://www.spain-ya.com/参照)
1936年、スペイン・グラナダ郊外のビスナールで銃殺されたロルカの遺体は
ほかの遺体と一緒に近くに埋められたまま、どこにあるかわからなくなって
いると聞いた。そっとしておいて欲しいとの遺族の思いもあったのだろう。
しかし、何年たっても、真実を明らかにしようというこのような判事の姿勢は、
人間が忘れてはいけないことのように思う。
今後に注目したい。
この話は、ちょうど「フェデリコ!」の稽古をやっている頃で、新聞も購読
しておらず、まったく知らなかった。
ロルカの死から72年後。スペインから遠く離れた日本で、彼の芝居
を上演する、その時に彼の死にまつわるニュースを聞く。
なにかの縁(えにし)を感じずにはいられなかった。
劇団「バラッカ」のポスターの前に立つロルカ。
筑紫哲也さん逝く [追悼]
戦後、高度成長、学園紛争、バブル崩壊、グローバル化、そして
9.11、金融崩壊、オバマ大統領誕生・・・と様々なできごとが
ありました。
豊かさだけの追求で、置き去りにされそうになった価値観、もの
言えぬ人々。
筑紫さんは、そういったものの代弁者だったような気がする。
いつもニコニコして、暗い海を照らす灯台のような存在。指針のひとつ。
多数派に押し流されようとする時、こんな考え方もあるよ、と見守って
くれているかのような、そんな存在。
何のかかわりもないが、ずっとテレビで見ていたので、いつもそばに
いるかのような気がしていた。
そして、何事にも始まりがあれば終わりがあるということを、あらためて
気づかせてくれた。
人は生まれ、いつか必ず死ぬのだと。
心よりご冥福をお祈りします。
本日「フェデリコ!」初日です。
筑紫さんに、いつか見て欲しかったなあ。
ロルカも芸術を通して、物言えぬ者たちの嘆きや、叫びや、苦悩
を代弁していたのではなかったか。
心して初日を迎えます。