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11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち [映画]


名古屋駅西のシネマスコーレ。
 
若松孝二監督が20年前に作ったミニシアターで若松監督の「三島由紀夫と若者たち」
 
を見る。
 
 
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「実録 連合赤軍」と同じ時代。あのころの若者たちが何を考え突っ走ったのかを
 
監督は今も執拗に追いかけている。
 
思えば三島はまだ45歳。
 
当時中学1年生だった私は、なぜ「小説家」 が自衛隊に立てこもり、切腹をするのかが
 
わからなかった。
 
行動の意味というよりも、「小説家」という人たちに抱いていた勝手なイメージ
 
とのギャップに驚いたのだが、その年1970年はアポロの月面着陸の翌年でもあり、
 
大阪万博が開催されたので、何か新しい時代の幕開けのような気が、子供だった
 
私にはしていたのだった。
 
その年に起こった「小説家」の「切腹」という行為は強烈に記憶に残った。 
 
スクリーンの中の若者たちを通してわれわれに、若松監督は「お前たちは
 
それでも生きているのか!」と叱咤し、挑発しながら、若者たちをいとおしみ、励まし、
 
「あとはお前らに任せるぞ!何とかしろ!」と叫んでいるような声が聞こえた。
 
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コメント 1

呑亀

kaz-i様
お元気ですか。久々にコメントします。
三島由紀夫が自決した1970年11月25日その時間、近くにある大学にいました。ニュースはすぐに伝わり、その死にざまに体調に異変がおこり、しばらく食べ物が喉を通りませんでした。同学年で、11月25日生まれの吉本隆明も身体の不快感を味わったと語っていました。同じ年の二人は戦後日本の思想に大きな影響を与えました。大きく乖離したように見える二人の思想は、後人の叡智で左右の目の距離になる時を待たなければなりません。
若松監督は、連合赤軍や盾の会の兵士たちに心を寄せながら、この国の過去と未来に映像で語りかけています。流された幾多の若者達の血
について。そして今若者たちに君たちはどうするのかと。
by 呑亀 (2012-06-27 09:37) 

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