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断捨離と祈り [雑文]

3.11震災以後ツイッターやフェースブックのスピードに慣れたせいか

最近ブログ更新が超スローペースになっています。

いつも読んでいただいていてありがとうございます。

更新がないのでご心配をおかけしているかもしれませんが、元気で過ごしています。

2年ほど前更新していない時に、もしや病気では、、、と思われたこともありましたので

少し書かせていただきます。

名古屋での仕事と、11月19日「長崎祈りコンサート」の準備などもですが、いきなり

名古屋転勤が決まり(今までは出向的な感じ)引っ越しだ、片付けだと続いていたのです。

さらに小さいながら二つのプロジェクトやスタッフの引継、アクシデントなどなど、、、、、、

いつもながら頼んでもいないのに大盛り大サービス。

さて、引っ越しです。東京には2部屋借りていて、そこの一つをアトリエにしていました。

名古屋は社宅に入っていましたが、そこも契約が切れるということで、新しいところを探し

決めて、名古屋の荷物をそこに移し、東京に行って東京の部屋から隣のアトリエに荷物を

移すのに延べ4日かかり、、、、、、(その間二回も東京~名古屋往復)、愛は地球を救う、

引っ越しは人のエネルギーを奪う!あわわ、、、、、、。

「断捨離(だんしゃり)」なる言葉もはやっていますが、長崎から上京してあっという間に35年。

東中野(落合)~沼袋(中野)~吉祥寺~富久町(新宿)~初台~荻窪~東池袋

~江戸川(瑞江)と転々とし、師匠たちの荷物も没後引き取ったりして、これまで来て

いたので物がありすぎました。物もちもよかったので20年以上前のGパンやTシャツなども

たくさん残っていました。

この際一気に!といってもごみ袋に詰めるだけでまだ精一杯でしたが、ばんばん捨てました。

出てくる出てくる、探していた物も出てくる、忘れていたものも出てくる、なんだかわからないものも

出てくる。無くした眼鏡は出てこない。

特に怖かったのが、ビデオ(ベータとVHS)と本ですね。ありとあらゆるところからゾンビのように

出てきました。ビデオテープはほとんど全部捨てました。ベータやVHSデッキや地デジでない

ハードディスク、昔のノートパソコン、テレビ、、、、、、など時間が経って役目を終えたものも

たくさんありました。買ったばかりであまり使っていなかった冷蔵庫は三分の一以下の値段で

後輩に譲りました。(氷ができるのが魅力だったのに。今のは小さいけどもうそれでいいや)

LPレコードや(聞くならプレーヤーがいる)、8ミリの映写機、編集機、、、、、、自主映画なんか

撮ろうとしてたのですね。いずれ何かの資料にと取っておいた雑誌やスクラップ、様々な図録。

宝物のようにずっと持っていた物たちにもいずれ別れを告げなければなりません。

ずっと持ち続けていた思いの一部にさようならを言うことができました。

棺桶までもっていきそうなものは残っていますがね。

いずれ名古屋にいくつか送ろうというものはまだあるのですが、はじめに持ってきたのは

母の位牌だけでした。

そして何も残っていない部屋をお返ししてきました。

気付くともう11月の声を聞き、ソフトバンクが日本シリーズ出場を決めました。

そしていよいよ11月19日(土)祈りコンサートの開催が迫ってきました。

フェースブックに書いたのですが、このコンサートのことをもう一度書きます。

「祈り」とテーマを決めるまで昨年末からずっと考えていました。 

「祈り」ってよく聞く言葉だけど、そもそも「祈り」とはなんだろう。少し消極的な印象もあるけれど、

まずそれぞれの思いを自分で具体化し、少し立ち止まって考える行為ではないか。

せわしなくぎていく日常の中で、それを自分は考えて生きているのか。

キリスト教に限らず人は「祈」ることしかできない時もあり、どんな目にあっても「祈」ることがあるのは

なぜだろう。そして「祈」ることで救われたのだろうか。

そして、長崎というところはキリシタン弾圧や戦争、原爆、水害、噴火など様々な苦難から

立ち上がってきたが、その時に人々は何に「祈り」何を「祈」ったのだろうか。

そういう事を考えた末に、しかしそれでもテーマは「祈り」しかないと決めました...

「祈り」というものが何かをコンサートに来ていただく皆さんと一緒に感じたい、考えたい、と。

テーマを決めた直後、東日本を大震災が襲いました。そして原発が爆発し、放射能がまき散らされ、

人々は故郷を追われました。

圧倒的な現実の前に、それまで考えていたことが観念でしかないことを思い知らされました。

しかし今あらためて思います。小さな小さな「祈り」も続けていかねばならないと。

先人たちの様々な苦闘、そして世界中の人々の苦悩を、いつまでも忘れてはならないと。

沈黙してただ寄り添うことも「祈り」の一つの形かもしれません。

そしてまた思います。平和というものがかけがえのないということを。

そしてそれを守るために行動しなければならないということを

人間は自然をコントロールするのではなく、人間は自然の一部なのだと。

かの宮沢賢治は「この世に一人でも不幸な人がいる限り、私の幸せはない」とおっしゃっています。

長崎の中町教会に高らかに響くヴァイオリンの音色を一人でも多くの方に聞いていただきたいと

思います。長崎から「祈り」を多くの方々に捧げます。

チケットがまだまだたくさんあります。一人でも二人でも御親戚、ご兄弟、ご友人にお声掛けください。

よろしくお願いします。

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コメント 3

pana

お疲れ様でした。
驚異的なお片づけモードだったのですね~。
でも、ご無事に終られたようで良かったです。

FBやTwitterはスピーディで良いけど、BLOGは
BLOGで、じっくり良くわかるところが捨てがたい
ですよね。

コンサートのご成功お祈りしています。
by pana (2011-11-08 18:32) 

kaz-i

>toroさま

ありがとうございます!

またよろしくお願いします。
by kaz-i (2011-11-09 22:44) 

kaz-i

>panaさま

ありがとうございます。
えいやあっ!と気合で乗り越えましたが、もう御免です。
これからシンプルライフで行きたいと思います。
ブログを書く時間も捨てがたいですね。読書と似てる!?
長崎間もなくです!いい時間を共有できますよう祈りながら準備しています。また!
by kaz-i (2011-11-09 22:48) 

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