長崎だより3 ~軍艦島 [長崎]
長崎市の南西、野母(のも)半島を車で下って30分ほどいくと、右手の沖合いに
高島という島が見えてくる。
かつては炭鉱のあったその島の隣には、端島(はしま)という小さな島がある。
その形は日本海軍の戦艦「土佐」に似ているところから、いつしか「軍艦島」
と呼ばれるようになった。上空からの画像(Google Maps)
わたしも、小さな頃海水浴の行き帰りにこの島を見るたびに「軍艦島」だ!と
歓声を上げていたものだ。
日本の近代化を支えてきた炭鉱の一つであり、人口が最盛期を迎えた1960年には
人口が5,267人となり人口密度は東京23区の9倍以上に達したという。
炭鉱・住宅・学校・病院映画館・床屋・お寺・病院など島の中だけで完結する都市機能
を持っていた。
1960年以降のエネルギー革命により衰退し、70年代以降の国のエネルギー政策の
影響を受けて1974年1月15日に閉山。このときの住民は2,000人。
その人たちも4月20日までにすべてが島を離れ、この島は無人島となり現在に至る。
日本の高度成長もこのとき終わりを迎えたのである。
現在は無人化により放棄され、維持管理が行われないため、いくつかの建物は既に崩落。
また倒壊の危険性を抱えているため、島内への立ち入りは現在禁止されている。
ところが、長崎市は2007年度に整備を行い、島の一部を公開する予定だという。
観光客が上陸できるようかつての桟橋を再び整備し、島内部にも遊歩道を設けることなどを
計画しているそうだが、その費用は全体で、4億2千万円もかかるそうだ。
どちらにせよ、危険なので上陸することはできない。
今は遊覧船で近くをまわることもできるし、この島は高度成長の亡霊として崩れ去るのを見届けて
やるほうがいいと思うのだがどうだろうか?
(一部Wikipediaより引用)
(写真は先日視察に行ったわが父が撮ってきたものです)
長崎だより 2 ~立山公園の桜 [長崎]
忙中閑あり。
用事で久々外出したので、一寸の隙に立山(たてやま)公園に足をのばしてきた。
立山は長崎の高台に位置し、ここの桜は遠目にも鮮やかです。
緑におおわれた山に、ある日突然うす桃色の絵の具が塗られるように、桜がぱあっと咲くのです。
公園につづく道。
公園に入るとたくさんの屋台が並び、人も楽しげに散策していた。
展望台にのぼると、遠くに女神(めがみ)大橋が見える。
さあ、またがんばろう。
目にも御馳走をいただきました。
長崎だより 1 ~雨の眼鏡橋 [長崎]
今、ちょっと忙しく短い文しかかけませんので、みちみち撮った写真などご覧下さい。
先日雨の土曜日に歩いた眼鏡橋。
しっとりとして、雨もなかなか良いものですよ。
長崎の坂と猫 [長崎]
坂の多い長崎は、階段の上り下りをすることが日常だ。
宅配便の人たちは、とんでもなく大変だ。
昨日は登山用の背負子(しょいこ)に、飲料が入っているクーラーを3~4個くくりつけ、
階段を上がっていく若者を目撃した。・・・ヒマラヤかっ・・・!
自動販売機の飲料補給をするためらしい。
道があれば、車で上の方へいってから階段を下りるという方法をとるのだが、しょって
登っているということは、多分歩いてしか行けないところに自動販売機があるのだろう。
どんなにインターネットが進歩しても、誰かが近くまで物を運ぶのだ。
家を建てるときはものすごいことになりますよ。昔は馬が屋根瓦を運んでいるところに
よく遭遇した。言っときますけど、ヘリなんか近くに止める場所なんかありませんからね。
だから若者はドンドン平地に住むようになり、上のほうに住んでいるのは高齢者ばかり
になる。
買い物帰りにゆっくりゆっくり階段を上がっていく老人をよく見かける。
ところどころに「休石(やすみいし)」とか「休み所」と書いてある木の小さなベンチが
置いてあり、そこに座ってしばし休むようになっている。
先日家から下っていると、近くを私が通っているのにそっぽを向いたまま、全くもって
その場から動かない小生意気な猫が居た。
こいつだ。
カメラを向けると、寄ってきやあがった。
あんまり器量がよくないが、少し可愛いと思った。
次の日は、日だまりでじっとして背中を丸め、目を細めていた。
いつもここらにたむろしているようだ。
名前はまだ付けていない。
長崎ランタンフェスティバル [長崎]
明日から、長崎の冬の風物詩「長崎ランタンフェスティバル」が始まります。
2月18日~3月4日まで。
中国の旧正月を祝う「春節祭」がだんだん大きくなって、いまやすっかり長崎に根付いて
います。
スタッフ・市民の方々の熱意・努力の結集の賜物だと思います。
ランタンの明かりで真っ赤に染まった冬の長崎の街を歩いてみませんか!