しゃべれどもしゃべれども [映画]
久しぶりに映画館に行って、映画を見た。
「しゃべれどもしゃべれども」
原作:佐藤多佳子
脚本:奥寺佐渡子 監督:平山秀幸
企画 バウスプリット
コミュニケーションのお話でした。
主人公は二つ目の落語家、外山(国分太一)。
スコセッシ=デ・ニーロの「キング・オブ・コメディ」のときにも感じましたが、映画でコメディアン
(落語家)を演じると言うこと、すなわち映画を見て観客を腹の底から笑わせることがいかに
難しいか。恐ろしい。とりもなおさず、人前で「演じる」ということの恐ろしさも感じた。
ですから「芸人」役の方々の、楽屋など高座以外の素の部分の芝居が、時々作りが見えて
気になった。「芸人」を「演じていた」せいでしょう。
だからこそ、「素人」役の十河(香里奈)、湯河原(松重豊)、村林(森永悠希)は自然に見え
ました。しかも小学生の村林以外は口下手の設定だからなおさら。
村林の高座には笑いました。枝雀になりきっていた。
今の世の中、しゃべってなんぼの世界だが、ストレートな物言いで自分も相手も
傷ついてしまう。この不器用さ、もどかしさがよかったが、外山はそこの変化がぬる
すぎる。鈍感すぎて繊細さに欠ける。江戸っ子の「照れ」がもっとほしかった。
だから酒を飲むのでは・・・・・・。
自分のことばかりしゃべって、自己主張をどんどんすべきだと言う風潮が嫌いな私としては、
師匠(伊東四郎)が弟子に何もアドバイスをしないところがよかったので、最後まで弟子を
(言葉では)ほめずにいてほしかった。なんでもかんでもコミュニケートすりゃあいいってもん
じゃあない。以心伝心、言わぬが花・・・なんて言葉はなくなってくんでしょうかねえ。
とはいえ、思いをなかなか伝えられない面々の心情を慮ると、少々涙が出ました。
それぞれの溜めている気持ちがストレートに伝わってきました。自分の心が少々萎えて
いたせいかもしれません。
香里奈は美しかった。
村木の叔母郁子(占部房子)はおっとりした品のよさがでていた。
建蔵、とめ吉、怪演!師匠のそばにいる弟子の幸福感が伝わってきた。
楽しめました。
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