世界遺産となる上五島の教会とキリシタン遺産を訪ねて [旅行]
毎日暑い、いや熱いですね。
お盆にせっかく来ていただく祖先の霊も、あまりの暑さにあの世に
引き返しはしないでしょうか。
外出する皆様お気を付けくださいませ。
先月7月27日~28日長﨑の新上五島町へ行ってきた。
「世界遺産となる上五島の教会とキリシタン遺産を訪ねて」というツアーに参加
したのです。
このツアーには野下千年神父(カトリックセンター、長崎県宗教者懇話会会長)、と
柿森和年氏(長崎の教会群を世界遺産にする会事務局長)のお二人が同行して
お話をしてくださるという豪華な旅だった。
私は名古屋から長﨑に前日入り、翌7/27朝、長﨑からジェットフォイルで
2時間ほど。福江経由で奈良尾港に着いた。
初めての上五島に胸が高鳴ります。
新上五島町は平成16年8月1日、有川町・上五島町・若松町・新魚目町・奈良尾町
の5町が合併して誕生した。中通島・若松島とその周囲を主な町域とし、その周辺部に
有人島5島、無人島60島を含んでいる。
故白浜仁吉元郵政大臣(旧若松村)、本島等元長崎市長(旧北魚目村)、第50代横綱佐田の山
晋松(旧有川町)などの方々を生んでいる。
コースは盛りだくさんで、桐教会、ハリノメンド(針の穴;子供を抱いたマリア様に見えるそう)一帯の
キリシタン洞窟、中ノ浦教会、大曽教会、頭ヶ島教会、竜馬ゆかりの地(ワイルエフ号事件)、青砂ヶ浦
教会とまわって一泊。
翌日無人島の野崎島へ渡り、野首天主堂、江袋教会、冷水教会、矢堅目(塩で有名)鯛ノ浦教会、
浜串教会、希望の聖母像など上五島に29ある教会のうち10数箇所を回るというもの。
長いキリシタン弾圧の歴史的背景と、農漁業集落と一体になった文化的景観が世界遺産の
登録にふさわしいとされています。
今年の九月に世界遺産の日本の代表が決まるそうです(1年に一つ。昨年は富岡製紙工場
に先を越されてしまった)
2015年は250年にも及ぶ禁教のあと、大浦天主堂で奇跡と呼ばれる信徒発見から150周年。
そして被爆70周年。その記念すべき年に世界遺産に登録されるよう、応援の気持ちも込めた
ツアーだった。
まずは奈良尾港から近い桐教会を訪ねる。
ここの信者ガスパル与作が長崎を訪れた時に大浦天主堂のプチジャン神父と出会い、五島
キリシタン復活の道を開いた。
ガスパル与作たち「信仰の先駆者顕彰碑」
桐教会の中。
次に若松島のキリシタン洞窟へ海上タクシーで向かう。
若松島の里ノ浦のキリシタンは、明治初めの五島崩れの際、迫害を避けて船でしか行けない
険しい断崖の洞窟に隠れたのですが、焚き火の煙を船に見つけられて捕縛され拷問を受けた
そうだ。
ハリノメンド(針の穴) がみえてくる。
子供を抱くマリア様に見える人には見える。
この洞窟は後にキリシタンワンドとよばれ、1967(昭和42)年入口に十字架と3mのキリスト像
が設けられた。
これです。
こんなところに信者たちは隠れていたのだ。
外海(そとめ)や大村から弾圧を逃れたキリシタンたちは安住の地を求めて
この地にやってきたのに、さらに追い詰められ、捕えられたのだ。
中ノ浦教会。
水辺に建っている美しい教会だった。
五島のシンボル「椿」のデザイン。
大曽教会。
1916(大正5)年、鉄川与助の設計施工で現教会堂が建てられた。
頭ヶ島教会への道。
石造りの天主堂。
国指定重要文化財。これも鉄川与助の設計施工。
教会近くの墓地。五月には赤いマツバギクの花で一面が埋め尽くされる。
潮騒の音が聞こえる。
安らかにお眠りください。
龍馬像の建つ広場を経由して青砂ヶ浦教会を巡り新魚目地区にあるホテルへ。
去年三月にオープンしたホテル「マルゲリータ」
http://www.margherita-resort.jp/
上五島に忽然と現れたオアシスのようで長期滞在でもしてみたい。
風呂は大きく朝日も夕日も見えるそうだ。
スタッフのサービスもとてもよかった。この日は和食中心にしてもらったが、腕のいいイタリアンシェフ
がいるので、みなさん、特に女性の方々お勧めですよ。
翌日は上五島の先端から海上タクシーで野崎島へ。
ここは現在キャンプ場の管理者しかいない無人島だが、ここに野首教会がある。
船着場から山道を歩くこと20分。海に向かって建つ教会が現れた。
かつてはここで多くの祈りが捧げられたことだろう。
まわりには誰もいなくなった石垣と住居の跡が数多く残っていた。
これも鉄川与助の作。
鉄川与助についてはこちらをご覧ください。仏教徒でありながら数多くの教会を建てられた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%89%84%E5%B7%9D%E4%B8%8E%E5%8A%A9
http://www1.odn.ne.jp/tetsukawa/
鯛の浦教会近くのキリシタン墓地。
江袋教会。2007年の火事から見事に再建された。
最後に浜串教会を巡り近くの海を見守る希望の聖母像へ。
海の安全を見守っておられる。
1614年徳川幕府の禁教令から1873年のキリシタン禁制廃止まで約250年間。
長い長い潜伏の果てにようやく日の目を見たキリシタンたち。その72年後の8月9日11時2分。
浦上の信者たちの頭上で一発の原子爆弾が破裂。すべてを焼き尽くした。
なにもないところに自分たちの力で教会を建て、弾圧されながら信仰を忘れず、現代まで
続く彼らの祈りにはただただ頭が下がるばかりだった。
一つ一つの教会を巡りながら命のつながりを深く感じた旅だった。
篠島 夏の小さな旅② [旅行]
またまた思い立って、愛知県の知多郡南知多町三河湾に浮かぶ篠島に行ってきました。
名古屋から名鉄で河和まで1時間弱。そこから船で約25分。(ただし船の時間は1時間に1本くらい)
久しぶりの島探訪に胸が躍る。
篠島漁港。
鯛やふぐ、しらすが有名。
8月頭に行ったのだが、漁港ではしらすを積んだ箱が次々と運ばれていた。
また鯛は、「おんべ鯛」といって塩漬けの鯛を、千年もの間伊勢神宮に月に
三回奉納されるほどであり、その起源は「日本書紀」にも書かれている。
港から10分くらい歩いて島の東側に出ると、長いビーチがあった。
昼食後、島の一番高いところまで歩いて行った。
夕日が美しく、日本百選に入っているそうだ。
篠島小中学校。
伊豆の初島にも似ている町並み。
歩くと曲がりくねった小さい道がふもとまで続く。
しらす丼980円。
海の家では800円で売っていました。
久しぶりに海につかって、昼寝をし、蝉の鳴く道を港まで歩いて帰りました。
http://www.youtube.com/watch?v=jQUWfGEUNmw
カモメ~カモメ~! [旅行]
船が熱海港を出ると、カモメたちがあとを追いかけてきた。
夢中でシャッターを押していた。
気付くと初島がすぐ近くに見えた。
カモメたちは、またさっきの港のほうへと飛び去って行った。
よい天気だった。
春の海ひねもす~ [旅行]
又サンにお世話になり湯河原へと旅をした。
久々目の前に広がる海を見て、軽い頭をさらにからっぽにしようというのが
今回の旅の目的。
天気がよく、熱海から船に乗って25分。
初島へと渡る。
アロエの花。赤いのだ。
桜もほころび始めている。
私に似ていると、又サンが丸い石に帽子をかぶせた。
相模灘。
ウエットスーツは岩の上でそのまま乾かす。
港の近くの店で岩のりラーメンを食べた。700円。
店の奥で主人らしい親父が、客の若い娘たちとお銚子を飲んで
一緒に盛り上がっていた。
初島に来たのは、二十年ぶりだった。
湯河原に戻ってひとっ風呂浴び、又サンと酒を酌み交わし、早目に寝た。
翌朝は朝日を見ることができた。
なかなかに良い旅だった。
奈良の秋 [旅行]
奈良に行ってきました。
秋の奈良。
まだ彼岸花が咲いておった。
興福寺塔影能が旅の目的でしたが、その前に足を延ばして法隆寺に行ってきました。
十数年ぶりの斑鳩の里は穏やかで大層心地よかった。
中宮寺の仏様にもお久しぶりにお目にかかってきました。
塔影能は、奈良の高台にある興福寺の東金堂のまえにしつらえられた舞台で
奉納された。
だんだん周りが暗くなる中、二羽の鳥が始まりを告げるかのように飛んでいた。
やがてあたりは闇に包まれ、多川貫主はじめ僧侶の般若心経を観客全員で
お聞きし、やがて舞台は始まった。
しばし自分がどこにいるのかさえ忘れさせてくれた二時間余りだった。
翌日は平城京跡に行った。
遣唐使船。
1300年の遥か昔の先人達が、今の日本の元となる文化を大陸から持ち帰ってきたのだ。
鴟尾(しび)二メートル。
久々の奈良は我々のルーツを感じさせてくれた。
ここにいた方たちの子孫が私たちなのだ。
御在所岳 [旅行]
天気がよかったので、三重県の御在所岳に行ってきた。
名古屋から四日市まで近鉄電車で約30分。そこから湯の山線に乗り換えてまた30分。
湯の山温泉駅に着いた。
近鉄の周遊券みたいなもので、「遊名人」というのがあり、なんと4,980円で往復の乗車券、
ロープウェイ往復、昼食、日帰り温泉入浴料、駅までの送迎付きで、大変お得。
紅葉でも有名だが、御在所岳は友人に勧められていて、昔から行ってみたかった。
ロープウェイは1分間隔でじゃんじゃんやってくる。
上に行くに従って、だんだん涼しくなっていく。
1000メートルを越す高さで、7~8度気温が低い。
ロープウェイを降りて、リフトで山頂を目指す。
山頂は1212メートル。
三重県と滋賀県の県境に位置しているので、琵琶湖や遠くは京都まで見える。
名古屋駅や知多半島、中部国際空港までよく見えた。
時折吹く風がとても心地よく、周りを飛ぶアキアカネが、そう遠くない秋を感じさせてくれた。
山を下りて、ひとっ風呂浴び、飲んだビールのそれはうまかったこと。
金色に染まった田圃では早めの稲刈りをやっていました。
「晩夏」を感じましたが、まだまだ暑い日が続きそうです。
加津佐再び [旅行]
長崎県加津佐は菊田一夫が幼少の一時期を過ごした地である。
雲仙史談会のお誘いもあって、約3年ぶりにこの地をおとずれた。
廃線となった鉄道の旧・加津佐駅。
目の前の海水浴場から聞こえる、元気な子供たちの声が、真っ盛りの夏を感じさせてくれた。
Viva ! Las Vegas ~ Viva ! Las Vegas 9 [旅行]
帰国便は朝5時半集合だったので、ほとんど寝ずにいました。
ラスベガスとはどういうところだったか。
そこで行われているショーはどういうものだったか。
これまで書いてきたことがすべてです。
「徹底的に」「自由に」「リアルに」「世界一のスケールで」「足りないものは揃える」精神で
しかも楽しく、過程は見せず、やりたいことをまず優先・・・・・・。
素晴らしい環境を作りだし、お客を楽しませる。さすがエンターテインメント王国です。
我々は、その精神に学びつつ、やはり中身で勝負していかざるを得ない。
日本の伝統や技はやはり素晴らしい。ものすごいということをあとから感じさせるような、
さりげない表現方法。奥深さ。
しかし荒涼たる土地を、西へ西へと開拓していった先人たちのエネルギーには
敬服いたしました。
そんなことを、つらつらかんがえつつサンフランシスコから11時間、成田に着きました。
日本は梅雨の真っ最中で、飛行機を降りた時に、湿気の重さを肌で感じました。
世界は広い!
ご清聴、ありがとうございました。
・・・・・・おわり。
シルク・ドゥ・ソレイユ④ ~ Viva ! Las Vegas 8 [旅行]
ラスベガス最後の夜は、ベラージオで上演される「O(オー)」を見に行く。
その前に、ラスベガスの東京タワー(っておかしい?)「ストラトスフィアー」(350m)
に昇って夜景を見ることにした。
モノレールの1日券12ドルを買っていたので、一番近くのホテル「サハラ」
まで乗っていく。
ここらは、プレスリーの時代の中心地。
何か下町的な雰囲気。
一時代前のアメリカを感じる。
スカイツリーの出来る墨田区あたりはどう変わっていくのだろうか。
しかし夜景はどこも人気がありますね。エレベーターは乗るまでちょっと待った。
上に昇ると・・・・・・。
砂漠の真ん中に、誰かが町を作り、ゴールドラッシュのように発展してきたのか。
十年、二十年・・・・・・そして五十年経つと、町は変貌する。
バンジージャンプは99.9ドル。
「O」はベラージオでの上演。
入口の前には、衣裳や舞台をイメージしたオブジェの展示。
「O」は4本見たショーの中では最高の完成度だった。
水をモチーフとして、というか、ステージが巨大なプールで出来ており、さらに
セリが上がってくると、その水が一瞬にして消えてなくなる。
夢の世界を具現化したような、幻想的でいてスピーディな舞台は、この世のものとは
思えなかった。
興奮さめやらぬ思いで外にでると、もう夜の12時。
熱を冷ましながらホテルへ帰った。
・・・・・・(いよいよ次回は最後に)つづく
コンベンションセンター ~ Viva ! Las Vegas 7 [旅行]
最後の日は朝から、いつも歩いているラスベガス大通りの反対側に行ってみた。
エジプト出現!
ホテル・ルクソール。
おとなりのホテル・マンダリンベイとはつながって、一つのホテルのよう。
中はアブシンベル神殿のよう。
昔アスワンハイダム工事ってのもありましたね。
「人体の不思議展」は世界中でやっているのですね。
マンダリンベイでは「ライオンキング」上演中。
マンダリンのコンベンションを(勝手に)見学。
ここでは2005年に大相撲公演が行われた。
相撲界よ復活せよ!
やはりどでかい。
サインは看板から映像へ。
映像の前に立つと、画面が水の中のように揺れる。
MGMプールで一休み。
MGMグランドのコンベンションセンターも見に行った。
ここのアリーナは15000人収容で、数々のコンサートやマイク・タイソンなどの世界タイトルマッチ
(あの噛みつき事件も)が行われてきた。
サインはもちろんタッチパネル。
廊下には、ビヨンセやエルトン・ジョン、ポリス、キッスなどコンサートを行ったアーチストたちの
写真が飾ってある。
オオトリはやはりフランク・シナトラ。
そして最後の夜を迎えました。
・・・・・・もうすこし、つづく。