シルク・ドゥ・ソレイユ ③ ~ Viva ! Las Vegas 6 [旅行]
アメリカ人はスタバなしでは生きてゆけないのか?と思うほど、
どこのホテルにも必ずスターバックスがあった。
3日目は、ちょっと遠出をしようとモノレールに乗った。
一回5ドルでMGMからSAHARAまでを結んでいて、目的のホテルに近い
ホテルの停留所で降りる。2,3のホテルを抜けて行くこともある。
1日券は12ドル。
我々はベニスがテーマの「ベネチアン」に行った。
中には運河があった。
しかし、もうなにがあっても、だんだん驚かなくなってきている。
いろいろ買い物などして、中の画廊に入った。
昔のベーブ・ルースたちの時代のヤンキース優勝の場面と、昨年の優勝の場面の絵が
対で飾ってあった。
松井の顔を発見して、何かうれしかった。
ロン・ウッドの絵なども飾ってあって、女主人の誘いに乗って、彼の絵をつい買おうとしたが
何とか踏みとどまって(今思うと)よかった。
帰りはぶらぶらと歩いた。
空は青く湿気はない。太陽光線がじりじりと肌を焦がす。
何やら密談をしているこの二人。
暑いのにご苦労さん。
夜は21:30よりMGMの劇場で「KA(カー)」を見た。
泊っているホテルなので、この日は時間に余裕があった。
「KA(カー)」は舞台機構に驚かされた。
客席をとり囲む、宇宙ステーションの様な鉄骨の装置。
どこまで深いのかという奈落から、時折噴き上げる炎は、客席の我々にもその熱が
伝わってくる。
こんなことは日本では、法律的に許可されないだろう。
ストーリーは、シェークスピアの「真夏の世の夢」と日本のアニメーションのエッセンスが
まじりあっているような感じで、歌舞伎や京劇の要素がふんだんに取り入れられている。
しかし何といっても驚いたのは、ステージが、ぐるぐる回りながら奈落の底から上がってきて、
それが横になったり、縦になったり、挙句の果ては巨大なパチンコ台のようになって、
人が20メートル近くも上から、杭の刺さった舞台の表面をパチンコの玉のように落ちてきたり、
テントが鳥になって客席の上を飛んだり、舞台の上に敷き詰められた砂が全部奈落の底に
落ちていったり・・・・・・読んでいる人は、何を言っているのかわからないかもしれませんが、
・・・・・・そういう仕掛けというか、ものすごい建築、舞台機構の中で繰り広げられる人間わざとは
おもえない演技の数々に圧倒されました。
バトントワリングで日本人の高橋典子さんも素晴らしい演技を見せてくれました。
・・・・・・つづく。
シルク・ドゥ・ソレイユ ② ~ Viva ! Las Vegas 4 [旅行]
外は38度。4~5日前は45度!?くらいの日もあったそうだ。
3公演分のチケットがすべてとれたので、一安心。
午後はホテル内に5つあるプールの中の、流れるプールで一休み。
プールサイドでの読書としゃれこんだ。
本を読んで体を焼いている人が多い。
その日は、ホテル「ミラージ」でのThe Beatles「LOVE」の公演がPM9:30~だったので、
7時頃歩いて出かけたが、まだ明るい。
途中に「シーザースパレス」ホテルがあった。
シェールのショーをやっている。
ここは、セリーヌ・ディオンがずっとショーをやっていたが、数々のボクシングヘビー級
世界タイトルマッチでも有名な、古代ローマ帝国をテーマにしたホテルだ。
このむこうがミラージ。
火山が火を噴くアトラクション(無料)
町全体がテーマパークですね。
ミラージは南国の楽園がテーマの高級ホテルで1989年開業。
テーマホテルの草分けでバブルを思わせる金ピカの外観。
中に入ると、カジノの中に「LOVE」の宣伝カー。
BLTバーガーで腹ごしらえして、いざ「LOVE THATRE」へ。
Elvisは我々のちょっと上の世代で、Beatlesはすれすれ我々世代かなあ。
中1のときには解散して「Let It Be」の4人の顔写真のポスターが町中に
貼られていた。
中の臨時カフェの名前も「Revolution」
中に入ると、十字の舞台に高い天井から薄いブルーの紗幕が下りていた。
開演時間前に客席をビートルズファンの女の子が走り回っている(設定)
開演!Get Backのイントロが流れ、客電が暗くなり、ボーカルと同時に紗幕が
振り落とされ、出演者が何人も宙を舞いながら落ちてくるというOpeningから引き込まれた。
全曲聴きなれていることもあり、またビートルズの歴史、戦争の記憶、若者たちの反抗
そして「Love」というテーマがはっきりとわかる構成で、しかも演劇的で、フィナーレまで
一気に見せた。
終演後のロビーは興奮冷めやらぬお客さんたち。
グッズが飛ぶように売れていた。自分もTシャツなど買っちゃいました。
終わってホテルにゆっくり歩いて帰るともう12:30すぎ。
お茶でも飲みながら、軽くスロットをやったらもう2:00を過ぎました。
少しだけ勝ちました・・・・・・(ただしくは勝った瞬間もありました)
眠らせてくれない町、ですね。しかもまんまとはまっている・・・・・・。
・・・・・・つづく。
シルク・ドゥ・ソレイユ ① ~ Viva ! Las Vegas 3 [旅行]
その昔、ラスベガスはプレスリーや、シナトラ、ディーン・マーチンなどキラ星の
ごときスターさんたちのショーやボクシングの世界タイトルマッチなどの興行で
有名でしたね。
それから約50年。ファミリー向けのアトラクション全盛時代を経て、再び大人向けのショーが
復活して来つつあるようです。
その中でも、カナダのシルク・ドゥ・ソレイユのショーは、現在ラスベガスで7本も同時に
チケットセンターで無事にチケットをゲット!
予約だけだったので、現物は事前に受け取らなくてはいけなかった。
近くのコンベンションセンターも(勝手に)見学。
規模がでかくて、だんだん感覚がマヒしてくる。
宙に浮いているレストラン ↑
MGMに戻って一休みした後、近くのOUTBACKでステーキを食べた。飲物は「ブルームーン」
さっぱりしたビール。
そして21:30の回を見に行った。
ホテルの中の劇場とは思えない大きさ。
客席もソファのような3人掛けの席もあり、ゴージャスな雰囲気。
中身は、プレスリーにささげるオマージュのような作品で、しかもシルク・ドゥ・ソレイユだから
サーカス、曲芸、投げ縄などもあり、楽しい作品ではあったが・・・・・・ムムム・・・・・・
といったところだった。
まだ、本物のラスベガスのショーのことを、我々は何も知らなかったのであった・・・・・・。
MGMホテルではカッパーフィールドのショーもやっていた。シルク・ドゥ・ソレイユの「KA(カー)」
の他にですよ。
しかし、映像で出てきたプレスリーの存在感はさすがでした!
昔の映画を見てみたくなりました。
・・・・・・つづく。
巨大ホテル ~ Viva ! Las Vegas 2 [旅行]
ラスベガスには客室数で世界12大ホテルのうち、11軒が集まっているそうだ。
我々が泊ったのは、ホテルとしては世界最大の総面積(野球場4つ分)、
部屋数で世界第2位(5,044室)、カジノは世界3番目の大きさを誇る
MGMグランドホテル。
ホテルの受付フロントもバカでかい。
我々の部屋がある24階は東西南北に分かれていて、MGMのスターの写真が
目印になっている。
エヴァ・ガードナー ↑
うちらの方角はケーリー・グラント ↑
これがまた長い廊下。
エレベーターの近くの部屋で助かった。
窓から見える風景。
マッカラン国際空港も見える。
カードキーは広告入り。
ホテルの中でやっているショーの広告で、持ち帰りOK.
清算がなければフロントによらずにチェックアウトできる。
町を少し散歩してみる。
話によると、ラスベガスはしばらくいると、時間と距離の感覚が麻痺してくるらしい。
近くに見えても、歩くとなかなか目的地にたどり着かず、ホテルやカジノには一切
時計が置いていないし、また24時間眠らない町だそうだ。
このライオン像が台座を入れて約20m。
全米最大の銅像だということだ。
ホテルの中には、動物園があって、そこには本物のライオンもいるという話。
入国審査の時にも感じたが、アメリカという国は何でも「徹底的」にやりますね。
NYの町を再現したホテル「ニューヨークニューヨーク」
ラスベガス・ストリップ(大通り)
ここの通りの両側に、巨大なホテルがずらりと並ぶ。
各ホテルとも、熱帯、パリ、アジアン、ベニス、イタリアン、遊園地、ローマ・・・・・・などの
コンセプトがあり、それぞれの特色を出している。
そして、有名な歌手やコメディアン、マジシャンのショー(古くはプレスリーやシナトラたち)や
今は「ライオン・キング」「ブルーマン」「シルク・ドゥ・ソレイユ」のショーなどで集客をしている。
そして、どのホテルにもカジノがあり、表では無料のアトラクションが行われ、大人から
子供までが楽しめるようになっている。
コンベンション会場としても有名で、たくさんの会議や見本市が行われている。
夜ともなればまた、ネオンの光が通りを歩く人たちを輝かせる。
眠らない町、ラスベガスの日々が始まった。
・・・・・・つづく。
ラスベガス行き ~ Viva ! Las Vegas 1 [旅行]
ブログで沖縄旅行の記事をUPしおわったと思ったら、その日の夕方から
ラスベガス行きで、一昨日無事帰国しました。
このブログを読まれている方の中には、私がずっと旅をしているとお思いの
方がいらっしゃる(事実いらっしゃいました)でしょうね。
と、言うわけで、13日から18日まで4泊6日でアメリカ合衆国ネバダ州の州都
ラスベガスに「研修」で行ってきました。
「研修」といっても、特に組まれたプログラムがあるわけではなかったのですが・・・・・・。、
あるのは、4日間毎晩、シルクドソレイユのステージが予約されていること(謎)。
なぜベガスなのか!?
私もよくわかりませんでしたが、旅の終わりに、ああそういうことだったのかと思うこと
がありましたので、おいおい書くことにします。
そういうわけで(何が)、我々(後輩と二人旅)を乗せたANA便は、成田から
飛び立ちました。
成田からサンフランシスコまで約11時間(吐息)。
機内で「インビクタス」「しあわせの隠れ場所」「最高の人生の見つけ方」の3本を
見ることができました。
そしてようやくサンフランシスコに着きました。
着陸する直前に金門橋も見えました。堀江健一青年もこれを見たのだと思いつつ(古い)、
乗り換えのため空港内を移動。
すこぶる暑いが、からっとしている。
ここからまた約2時間。
直前に何も調べてなかったので、あらためてラスベガスのことを調べてみます。
ラスベガス・・・・・・と聞いて、皆さんは何を思い浮かべるでしょうか。
Las Vegas・・・・・・Vegasはロルカの詩にもよく出てくるベーガ(肥沃な草原)のことです。
ベガスはその複数形、それに女性定冠詞複数形のLasがついてラスベガスとなり、それが
町の名前として固有名詞化したそうです。
サンフランシスコから乗った飛行機の窓から見える景色は、ずっと荒涼たるものでした。
途中に見える万年雪の山々はシェラネバダ山脈。これもロルカがよく詠ったスペイン・アンダルシアの
山々と同じ名前です。シェラネバダとは「雪のかかった山脈」という意味です。
そして約2時間。忽然と砂漠のオアシスのように、まるで桃源郷のように、巨大な町が出現します。
それがラスベガスでした。
マッカラン国際空港 ↓
空港内のカジノ ↓
そして、我々は宿であるMGMグランドホテルを目指した。
・・・・・・つづく。
さらば沖縄 また来る日まで ~沖縄の旅 ⑥ [旅行]
バスツアーの最後は、岩手県の安家洞(あっかどう)に続く長さの、玉泉洞(ぎょくせんどう)
という鍾乳洞に連れて行かれた。
1mm成長するのに3年かかるそうだ。
すべてのコースが終わったが、フライトまでまだ時間があったので世界遺産の
首里城に行くことにした。
モノレールの終点首里駅を降りると、タクシーが人待ちをしていて、時間があるなら
識名園に行きなさい、とすすめてくれたので、途中立ち寄ることにする。
ここは琉球王族の別荘の跡。
中国・大陸の影響が色濃く感じられる。
そして・・・・・・ ↓
いまはあまり見ない2千円札にデザインされた、守礼門。
那覇市街が望める。
800円だったので、中には入らなかったがちょうど入り口近くの舞台で
琉球舞踊をやっていたので、しばし鑑賞。
父との沖縄の旅は愉快なものだった。
石垣や那覇は想像以上の大きな町だった。
そして出会った人たちの明るさと、時折見せるさびしげな表情とのギャップ
に、われわれ通りすがりの観光客にはわからない沖縄という土地の奥深さが
感じられた。
さらば沖縄。
ありがとう沖縄。
また来ます。
月桃。
・・・・・・おわり。
今日の夕方から(研修で)ラスベガスに行ってきます。
南部戦跡を巡る ~沖縄の旅 ⑤ [旅行]
沖縄の旅も最終日。
南部戦跡をバスで回った。
朝の国際通り。
7月28日~8月20日 晴天届く君の風 みなぎる闘志が夏に輝く
美ら島(ちゅらしま)沖縄総体2010と名づけられた、高校総体が
開催される。
琉球新報社。熱い新聞社(のような気がする)。
海軍司令部壕跡。
ひめゆりの塔。
ひめゆり学徒隊は沖縄師範学校女子部と、沖縄県立第一高等女学校
の生徒たちで、南風原(はえばる)の沖縄陸軍病院に動員された。
懸命に働いた彼女たちに、解散命令が下される。
若い多くのいのちが、ここでも失われた。
合掌。
平和祈念公園と資料館。
摩文仁の丘。
平和の礎(いしじ)
国籍、軍人、民間人の区別なく、沖縄戦で亡くなられたすべての方々の
名前を刻んだ記念碑。
沖縄戦終結50周年を記念して、1995年6月23日に建設された。
戦争反対。
祈世界平和。
・・・・・・つづく。
那覇・国際通り ~沖縄の旅 ④ [旅行]
想像していたよりも、もっと那覇は大都会だった。
しかしモノレールから見える米軍専用地の鉄条網を見ると、いまだ占領地・・・・・・
沖縄だけでなく日本全体がいまだそうなのか・・・・・・と感じ、くそっ、と腹が立つ。
野球場も武道場も川も橋もモノレールも、いろんな施設が素晴らしく大きく
新しいが・・・・・・。
基地問題の奥には、たくさんの問題が潜んでいるのだろう。
簡単に移設など、この現状を見るだけでも言えないのでは
(と思っていたら数日後鳩山首相は辞任した)
沖縄のことを我々は余りにも知らない。
沖縄県庁 ↑
ショッピングセンター ↑
国際通りの途中にある牧志公設市場入口。
なにか明るい活気が感じられた。
肉を食べたいという意見が親子で一致し、ステーキハウスに行く。
目の前で調理してくれる。
食後は国際通りをぶらぶら。
ここは「奇跡の1マイル」と呼ばれ戦後めざましい復興を遂げた。
上地さんのお店、九茂地(くもじ)の「大空」で泡盛を飲んで、宿に戻った。
・・・・・・つづく。
石垣そして黒島 ~沖縄の旅 ③ [旅行]
石垣島最終日は石垣島を少しめぐった。
肝心の石垣島の中は、港とホテルと居酒屋以外どこにも行っていなかった。
一番メジャーな川平(かびら)湾に行く途中に唐人墓があった。
アメリカ人に雇われた、たくさんの中国人苦力(くーりー)があまりのつらさに
逃げ出し追われ、死んでいったのを現地の人たちが弔ったらしい。
海の向こうは台湾か。
望郷の念は海を越えて、静かに眠る今も変わらぬのではなかろうか。
長崎の外人墓地もそうだが、故郷を離れて亡くなった人たち、そしてそれを
哀れと思って弔う、村人たちのその心根が胸を打つ。
ここが、川平湾。
あいにくの雨で、グラスボートには乗らなかったがいい眺めだった。
次に向かったのは御神埼(おがんざき)灯台。
雄大な景色にしばし見とれたが、風が強く吹き飛ばされそうだった。
もう一つ高台に行ったが、ガスで何も見えなかった。
飛行機の時間までまだあるので、牛が人の十倍以上いるという
黒島に向かう。
宮崎の口蹄疫は大変なことになって、お見舞い申し上げます。
沖縄では港々の島の入り口に、消毒用のマットが引かれていた。
船着き場の近くで買われていた山羊。
一心不乱に草を食べていた。
あまり時間もないので、レンタバイク(原付)を2台借りて、おっさん二人で
ミニツーリング。
レンタバイクやの娘さんは、埼玉出身だと言い、1ヶ月のつもりで来て
半年この島にいるそうだ。
先月、母親が心配して尋ねてきたらしい・・・・・・。
しばらくバイクを飛ばすが、この島もやはり人が誰もいない。
黒島灯台に来たら、ようやく何人か海を眺めている人たちがいた。
牛も全然いないんですが・・・・・・。
バイクを飛ばす親父、74歳!
雨が降ってきたが、お構いなしに前進する。
と、・・・・・・。
牛がいました。
なぜかホッとしました。
石垣港に戻り、空港へ行き、八重山そばを食す。
この泡盛にとんがらしを漬けこんだ「島とうがらし」にはまる。
そばに少したらして食べると、んまい!
石垣島から飛行機で約1時間。
そして、我々は那覇空港に降り立った。
つづく・・・・・・。
八重山諸島 ~沖縄の旅 ② [旅行]
八重山(やえやま、やいま)とはWikipediaによると、石垣島・竹富島・小浜(こはま)島
黒島・新城(あらぐすく)島・西表(いりおもて)島・鳩間(はとま)島・波照間(はてるま)島
の有人8島を遠方から眺めると八重に連なって見えるという言い伝えから名づけられたそうだ。
今はこの8島に、西表のすぐ隣の由布(ゆぶ)島と、日本最後の夕日が沈む島・与那国
(よなぐに)島も入れて八重山諸島と呼ばれている。
西表島・由布島・小浜島の三島めぐりツアーがあったので、石垣港から出発。
昔NHKで「ちゅらさん」という連続ドラマが放送され(2001年)、舞台となった小浜島が
ブームになった。あまり見てなかったけれど、いいところらしい。
「ちゅらさん」とは「美しい」という意味だそうだが、きょらさ(清らさ)→きゅらさ→ちゅらさ
と変化していったそうだ。
琉球方言について少し調べた。
太陽が入る(沈む)から西は「いり」、登るから東は「あがり」、南は「はい」
(八重山地方では「ぱい」)、北はなぜか「にし」
西表というのは石垣島の於茂登岳(ウムティ)の西(イリ)だから、イリウムティ→いりおもて
となったそうです。
あいにくの雨模様だが、まずは西表島へ。石垣港から西表の大原港まで約40分。
大原港から乗り合いボートに乗り換え、仲間川を登っていく。
マングローブが生い茂る川を奥へ奥へと進んでいく。
これが本当のジャングルクルーズだ。
ちなみにマングローブとは、海水と淡水が交わるところに生育する植物の
総称で、固有の木の名前ではない。と、ガイドさんが教えてくれた。
登ること15分。
一旦下船して、少し歩くと・・・。
天然記念物に指定されている樹齢400年の「サシマスオウ」の木。
根っこは板のようで、「板根(いたね)」と呼ばれ、昔は船の舵に使われていたそうです。
西表島は原生林が生い茂る古代の匂いがしました。
しじみも超巨大。ですがおいしくはない(ハッキリイッテ、マズイ)そうです。 ↓
この川は潮の干満に影響されるので、潮が引いたらもう登っていくことは
できない。
仲間港に戻り、今度は牛車に乗換え、目の前の由布島へ渡る。
ゆったりゆったり角の大きな水牛が人を乗せた車を曳いていく。
曳き手のおじさんが三線(さんしん)を弾いてくれたりもする。
この島はリゾート会社が開発したのかと思っていたら、西表正治(いりおもてせいじ)
おじいの執念とハツおばあの献身的な支え、そして家族たちの協力で楽園のような
植物園が出来上がったそうだ。
島々にはいろんなドラマが潜んでいる。
西表に戻り今度は小浜島へ。
「はいむるぶし」で昼食。
またまた琉球方言講座。
「はい」は南・「むる」は群れ・「ぶし」は星、だから南群星(南十字星を中心とした
星の群れ)という意味。
船の名前などによくつかわれている「にぃぬふぁぶし」は「にぃ」・北、ふぁ・方角
ぶし・星・・・ということで「北極星」という意味です。
ここは完全なリゾート資本が入っていますね。
「ちゅらさん」に出てきた「こはぐら荘」。
ほかにもロケ地になった場所をいろいろバスで回ってくれたのだが、私は見てないので
ぴんとこない。
長逗留するにはいいのでしょうね。
石垣島に戻って、ホテルでひとっ風呂浴び、また町へ繰り出した。
そしてまた「南の島(ぱいぬしま)」で一杯やりましたのさ。
・・・つづく。