豊国廟そして六遊郭の石燈籠 [歴史]
三都物語 [旅行]
先週の金曜日は大阪に出張だったので、一泊して翌日は京都に寄ることにした。
その日は朝から雨だった。品川から新幹線に乗り、田辺聖子を読みながら大阪に向かう。
打合せが終わって、阪神電車で大阪から二つ目の野崎で友人と待ち合わせ。
長崎出身の店主の店に案内してくれた。行ってみると、なんとそこの息子が私の弟(中学教師)の
教え子で、なおかつ私の小・中学の同級生がそこに客で来ていて、30数年ぶりに再会する!という
コアな世界がそこに展開してしまった。
世の中ってせ、狭い・・・・・・!ここ、大阪やで・・・・・・。
店主の大サービスで、出された「はもなべ」がおいしかった!おおきに!でした。
宿は曽根崎・兎我野町にあるビジネスだった。地元の人にはわかるのでしょうが、
周りはいわゆるホテル街で、「無料案内所」という怪しそうな店 (?) が軒を連ねている。
「無料案内所」・・・ナニヲアンナイシテクレルノダロウカ!?
入りはしませんでしたが、見るからにディープなところでした。
翌朝は晴れていた。
出発前に入った展望風呂から見える眺めは、ここが大阪なのかどこなのかわからない。
ただ「ホテル関西」と言う文字が大阪らしさを感じさせてくれる。
大阪駅へ向かうときにふっと横目に入ったのが、「太融寺」の文字。案内ちらしに「淀殿の墓」
があると書いてあったので、寄ってみる。
「太融寺」・・・821年(弘仁12年)弘法大師が嵯峨天皇の命により建立。
淀殿は茶々の名で知られた信長の姪、お市の方の妹、そして秀吉の側室、秀頼の母である。
むかし淀君といっていたが、「君」という呼び方は侮蔑的ニュアンスを含んでいることが明らか
になり、いまは「淀殿」が一般的呼称らしい。
思ったより、ひっそりとした片隅に眠っておられた。
合掌。
天気は上々。京都へと向かう。
京都駅では、京都在住の高校の同級生が出迎えてくれる。
「金閣寺」や「銀閣寺」「清水」方面のバス乗り場は、昔の海水浴に行くときのように乗車を
待つ客が鈴なりだったので、そういう有名な所に行くのはやめにする。
私が、「淀殿」の墓にお参りしてきたというのを聞いた友人は、それなら「秀吉めぐり」をしよう
と、まず案内してくれたのが、豊国神社のとなり、方広寺にある「国家安康の鐘」。
歴史で習ったでしょう。ああ、家康が自分の名前を分断したと因縁をつけ、豊臣氏を滅ぼす
きっかけとなったあの鐘や・・・と懐かしく感じながら行くとどんとそこにあった。
これだ ↓
かなり大きな鐘。戦時供出の危機もあったろうに、よく今に残ったものだ。
これこれ、これですよ、「国家安康」「君臣豊楽」 白く囲んである。
これが、こ、これが「国家鮟鱇」ではなく「国家安康」、歴史の教科書に大きく載っていた・・・・・・
なぜかため息がでた。
何の案内看板もなく、「見るなら見れば」とでもいうようにあるさまは、さすが京都だと感心する。
続いて隣の豊国神社へ行く。
秀吉は死して神になりたかったようだ。
秀吉らしくひょうたんの飾りがあふれている。
役者たちのひょうたん絵馬。芸事を愛した秀吉にあやかっているのか。
京都国立博物館。
ぎょうぎょうしくなく、落ち着いた感じ。なごみました。
こういうところで、絵や彫刻を見たり、本を読んだり、スケッチしたりしてみるのもええなあ。
一日のうちに淀殿の墓におまいりして、秀吉の墓にお参りする。
そんなに俺は秀吉ファンだったのか、あるいは豊臣一族の親戚かっ!と自らつっこみながら国立
博物館を横切り、豊国廟へと向かう。
入り口 ↓
お墓は阿弥陀ヶ峰と言うくらいだから山の頂上にあるのだろう。
ここの石段が、まず34段。
おお、ここがいよいよ登り口だな。どれどれ・・・・・・。
あれ、上が見えませんけどっ!
この上です・・・・・・。
おおっ・・・!(絶句)
・・・この後にもまだ石段があったト思う、と30年前に上ったことのある友人・・・(^▽^;)
・・・・・・だんだんきつくなる、数えて上ったらこの石段が313段!
上ったところに、さらにまた門が。
そしてその先には、また一直線の階段が続く!
・・・先が見えませんが、終わりはあるのでしょうか?
最後の力を振り絞り、172段を登りきると、そこに太閤秀吉さんのお墓がありました。
こんな長い石段は、はじめてだった。
合わせて519段!
祝参拝!(*゚▽゚)/゚・:*【祝】*:・゚\(゚▽゚*)
深く茂った木々にさえぎられていましたが、木のあいだから京都の町が一望できるところに
太閤さんは静かに眠っておられました。
またまた合掌。
この地一帯の広大な敷地に権力者のものすごい力を感じ、なんやしらん太閤さんは京都が
好きやったんやなあということがしのばれました。
心地よい風にしばし汗を乾かし、山を下りました。
おりてきたら足がプルプル震えておって、友人と笑いあった。
さらば大阪、さらば京都よ、と新幹線に乗り二時間。
東京へ戻り、今度は銀座で別の友人たちと待ち合わせ、また夜の街へと繰り出した。
(また呑むんかい ! )
銀座は土曜日の夕方らしく、くつろいだ人々で賑わっておった。
駆け足でしたが、出張ついでに大阪、京都、東京、三都それぞれのよさを満喫した二日間でした。
そして、三都に住む友人たちにも会えてよかった。
また行きまっせ!
道頓堀の雨に別れて以来なり―川柳作家・岸本水府とその時代〈上〉
- 作者: 田辺 聖子
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2000/09
- メディア: 文庫
熊井啓監督逝く [映画]
朝青龍よ、目を覚ませ [相撲]
全勝の朝青龍に土がついた。
座布団に八つ当たりしたり、物言いをつけるべきだとほざいたりみっともない。
このようなことが続くとファンも減るだろう。
何があっても、勝負の世界では自分の責任として受け止めなくては横綱どころか
勝負師とはいえない。
しかも相撲には美学がある。「相撲道」がある。つまり「文化」である。
いくら強くても、強いだけではダメだ。強さは正義ではないのだ。勝ち負けだけが
相撲ではないのだ。結果がすべてではないのだ。そこにいたる日々の精進を本番
の取り組みに見て、人々は「お相撲さん」と呼んで尊敬するのだ。
礼儀知らずの露鵬にもこのことは言いたい。勝ち負けだけにこだわるのならK-1でも
なんでも格闘技の世界に行くべきだ。
北の湖理事長が現役のときは、北の湖が勝ち続けて、強すぎて、自分は先代貴ノ花
が好きだったので、はじめは大嫌いだった。
しかし黙々と場所をつとめる彼の姿にやがて感銘を受け、大好きになった。
勝ちだけにこだわり、千秋楽で白鵬と変わり身対決にならないよう、正々堂々と
正面から闘ってほしい。
「修養」に終わりはない。ドルジよ、原点に戻って、真の横綱、王者になられんことを
切に祈る !
ガープの世界 [映画]
先日知人のOさんと飲みに行き、好きな映画の話になり、お互いに「ガープの世界」が
好きなことを発見!大いに盛り上がって、親近感が増したことだった。
ジョン・アービング原作のこの映画は、見た当時なんともいえぬ「感覚」を味わった。
それまでの、筋書きが読めるような、ある意味「お約束」の感動作とは違って、思わぬ
展開に唖然としたが、しかし今になって思い返してみると(なにしろ25年前の映画なのだ;
自分も若かった)人生にはそういう事柄がありふれているし、決まった道筋などないのだ、
ということをあらためて感じさせてくれる映画だった。
オープニングに流れるのはビートルズの「When I'm 64」。
宙に浮く赤ん坊のスローモーションのバックに流れる。
♪~ 今から何年もたって、頭がはげて、じいさんになっても、
バレンタインデーと誕生日にカードとワインを贈ってくれるかな?
わたしのことを必要としてくれるかい?食事を作ってくれるかな?
64歳になった時も ~♪
アメリカ文学の映画化なのに、なぜか自分の故郷や故郷の人々や懐かしいエピソードを
思い出す。
ロビン・ウィリアムス、グレン・クロース、ジョン・リスゴーをはじめ、芸達者な俳優たちの演技
も素晴らしい。
辛さがすこしおさまったときなどに、見たくなる映画です。