新潟の旅 2月 [雑文]
もううかうかしてましたら桜が咲いたのなんなの。
3月もあっという間に終わろうとしています。
2月15日から初めて新潟に行ったのでその時のことなど遅ればせながら。
新潟は生まれて初めての土地。
柏崎に用があったので、後輩の住む街新潟にその前にと思っていきました。
1年後輩の彼はもう新潟に来て13年。
私とも23年ぶりの再会でした。
新潟名物へぎそば。いやあうまかった。
翌日は長岡へ。
南国生まれの私は雪がたくさんあるとなぜか興奮。
長岡駅前のイトーヨーカドーで防水のウォーキングシューズなど購入。
新潟は酒どころ。朝日山や〆張鶴や八海山や久保田やたくさんの銘酒がある。
なぜか飲みたくなってしまう。
また長岡藩の河井継之助、山本五十六などを輩出した土地柄でもある。
長岡市役所が入るアオーレ長岡。隈研吾設計。
長岡は大三尺玉などの花火でも有名。 ちょうど花火サミットなども開催されていた。
夜の長岡一人酒。
翌日は東京組と柏崎で合流。 アルフォーレ柏崎へ。
今年9月7日に。河村典子さんのヴァイオリンコンサートを開こうと
会場を下見に来たのだ。
柏崎の海。
このあと東京に戻り。
3月は京都、長崎と旅が続いた。
鎌倉・江ノ島七福神めぐり ~その3 [まちあるき]
長谷寺を出て参道の鎌倉オルゴール堂を見学。
http://www.otaru-orgel.co.jp/kamakura_ebook/index.html#page=1
昼食後せっかくなので久々に大仏様を拝みに行く。
ここへ来たのはもう二十数年ぶりになるが、大仏様は変わらぬお姿でじっと座っておられた。
あれから随分いろんなことがあったなあ、などとしばし感慨に浸る。
与謝野晶子の歌碑。
「かまくらや みほとけなれど釈迦牟尼は 美男におわす 夏木立かな」
鎌倉駅に戻り鳩サブレ、鎌倉カスターを購入。
再び北鎌倉へ。
七福神めぐりの最後は浄智寺にある布袋様だが、その前に円覚寺(えんがくじ)に寄る。
ここは鎌倉五山第二位の名刹で映画監督小津安二郎の墓がある。
広々として静かでとても落ち着く。
小津監督のお墓。
ただ一文字「無」とだけ記されている。
合掌して「東京物語」「東京暮色」「晩春」「麦秋」「彼岸花」などの名作の数々を思い浮かべた。
「お早よう」も面白かったね。
円覚寺前の線路を渡って左に歩き、東慶寺をこえてしばらく行くと浄智寺がある。
このお寺は鎌倉五山の第四位。
季節になると様々な花が咲き乱れて、それは美しいことだろう。
布袋様。
これで鎌倉・江ノ島七福神めぐり完成!
と思ったのだったが、、、、、、。
私の本籍は長崎市大黒町なのに、肝心の大黒様を拝み忘れるとは。
まあ長谷寺にはいくことは行ったのだから良しとしよう。
久々の鎌倉は天気にも恵まれ、新鮮でした。
鎌倉・江ノ島七福神めぐり ~その2 [まちあるき]
鎌倉から江ノ電に乗って江の島へ。
車窓から湘南の海が見えてきた。風が強く波が高い。
サザンの「勝手にシンドバッド」が頭の中を駆け巡る。
結構人が出ていた。待ち遠しい春にじっとしていられないのか。
頂上のサムエル・コッキング苑の中の展望タワー江の島シーキャンドル。
シーキャンドルからは右手に逗子三浦半島、左手に茅ケ崎、大磯から小田原あたりまでが見える。
その日から始まるバレンタイン用のライトアップの準備に追われていた。
これが、今巷で話題の江の島の猫だったのか?首には何もついていない。
近づいてもほとんど動かず、じーっとしている。
参道入り口近くにある岩本楼。
海に面した宿の部屋からは富士山も見える。古いけれども落ち着く宿でした。
翌日は朝食後宿を出て、再び江ノ電に乗り長谷を目指した。
黒い粒粒はサーファーの群れ。
鎌倉高校前から稲村ケ崎あたりまで、何百人という波乗り人が海に浮かんでいた。
長谷駅で降りて御霊神社を目指す。駅からは歩いて五分ほど。
江ノ電の線路を横切ったところに神社はある。
ここには福禄寿が祀ってある。
これで昨日から六つ目、七福神のうち五か所を回ったことになる。静かな神社だった。
さらに長谷寺まで歩いていく。
長谷寺は節分の行事もあり、また近くに大仏さんもいらっしゃることから、近づくにつれ
だんだん人の数が増えてくる。
海もよく見える。
実際この幕の横に大黒天があったのだが、隠されていて気付かなかった。
本堂の中の十一面観音や阿弥陀様を拝んでいるうちに大黒様のことなどすっかり忘れて、
下に降りると弁天堂の洞穴の案内があったものだから、ここにいらっしゃるのは弁天様
だと勘違いして、長谷寺を後にしたのだった。
弁天さまは鶴岡八幡の中、江ノ島そしてこちらと三か所も拝ませていただいた。
大黒様を忘れていたと気づいたのは、旅も終わって二日後のことだった。
つづく、、、、、、。
鎌倉・江ノ島七福神めぐり ~その1 [まちあるき]
節分 [季節]
節分というのはそもそも各季節の始まりである立春・立夏・立秋・立冬の前日だそうですが、
江戸時代以降は特に立春の前日を指すようになったらしい。
年によっては2月3日とは限らないそうです。
以下ウィキペディアより
節分の日付は現在は毎年2月3日であるが、これは1985年から2024年ごろ
までに限ったことであり、常にそうではない。
1984年までは、4年に1度の閏年に2月4日だった。2025年から(2021年から
になる可能性あり)は閏年の翌年に2月2日になる。
(中略)
節分は立春の前日であり、立春は太陽黄経が315度となる日である。
このように、間接的に天体の運行に基づいているので、日付は年に
よって異なり、また未来の日付は軌道計算に基づく予測しかできない。
なお厳密には、基準とする標準時によっても節分の日付は異なるが、
日本以外では節分を祝う風習がないので、旧正月のように国による
日付の違いが話題となることは少ない。
だそうです。
知らなかった、、、。そんなに昔ではないのに節分で2月4日の日があったなんて全然覚えていません。
梅が咲いてきました。
梅は春の到来が近いことを教えてくれるのですね。
(写真は鎌倉長谷寺(2月3日)
あらためまして [雑文]
今日1月11日は鏡開き。
鏡開きとは、お正月に神仏にお供えした鏡餅を下げて、神仏に感謝し無病息災など
を祈って、お汁粉や雑煮などで食べる日本の年中行事、とある。
ある事務所の鏡餅が、正月が終わって用が無くなった、とばかりに事務員に捨てられた
との話を聞き、ヤレヤレと思いながらあらためて調べてみたのである。
まったく罰当たりな世の中になってしまった。
最近はお正月らしさが少なくなり、いつの間にかまた普段の忙しさの中に紛れようと
している。
今年は節目節目に日本の文化を見直していきたいと思います。
新しき(あらたしき) 年の始めの 初春の(はつはるの)
今日降る雪の いや重け吉事(いやしけよごと)
『新しい年の始めの、初春の今日降る雪のように、良いことが積み重なりますように。』
4,500以上の歌を集めた万葉集最後の歌、大伴家持。
どんな年になるかわかりませんが、気持ちも新たにスタートしたいと思います。